囂kamabisuan庵

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11月1日

せんこう花火

作詞 古沢信子
作曲 吉田拓郎

せんこう花火がほしいんです
海へ行こうと思います
誰かせんこう花火をください
ひとりぼっちの私に

風が吹いていました
ひとりで歩いていました
死に忘れたトンボが一匹
石ころにつまづきました
なんでもないのに

あー 泣きました


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11月1日

葱白く洗ひたてたる寒さ哉 芭蕉
(ねぶかしろく あらいたてたる さむさかな)

元禄四年十月、芭蕉48歳。と。

元禄二年秋以来の上方在住から江戸へ戻る帰路、美濃の国垂井の本龍寺での作。と。

青ネギ文化圏を出て、根深ネギに代表される、白ネギ文化圏までようやく辿りついたっうわけだ。

季節がらだけど、やっぱ江戸に近づくとちゃっぷいねえとか。

その美濃といえば朴歯味噌が有名だ。

さっき公園で、栃の木の葉っぱをみたけど、これで代用は駄目かね?

しかし、寒い。

近郊の千メートルクラスまで雪が来た。

もう今年度の自転車あそびは終わりだな。

今日は談林風で

行き来してチャリも進まぬ寒さかな 半可ξ
(雪来して ちゃりもすすまぬ さむさかな)


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11月2日

兎苓が父の別墅懐かしくしつらひて、園中数株の木の実に富めるを

祖父親孫の栄えや柿蜜柑 芭蕉
(おおぢおや まごのさかえや かきみかん)

元禄四年八月。と。

代々資産家の兎苓(とれい)さんの、大津の堅田という田園地区にある別荘に招かれての、ご挨拶句だと。

とても立派なお屋敷で、沢山の実をつけた大きな柿の木や蜜柑の木だけでなく、ご家族も何世代も重なって、ワンサカワンサカなんで、芭蕉さんビックリ放いてたっう事ではないでしょうか。

貧乏人の子沢山でなく、大金持ちの子沢山かいな!って。

さてさて、

ことしも柿を頂戴した。

愛媛のプリプリ太った富有柿だ。

送り主には内緒だが、柿好きのオイラ、でっぷり気取った甘柿よりも、じつは、庄内柿のような四角四面で律儀な質の渋柿系の方が好きだ。

つまり、貧乏人の子沢山の方が、いっぱい活気(=ガキ=柿)があって好きだ!っうこと。

実家にも柿の木があるが、今は、だれも食べないので、野鳥の餌場になっているらしい。

祖父親途絶えて柿は百舌のため 半可ξ
(おおぢおや とだえてかきは もずのため)


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11月5日

花みな枯れてあはれをこぼす草の種 芭蕉
(はなみなかれて あわれをこぼす くさのたね)

貞亨三年秋。

余もすでに人生、冬の日。

情けないが、あわれをこぼそうにも何も無い。

先日、余の先輩の大きな星がまたひとつ消えた。

おつかれさまでしたとこころで祈る

花みな枯れて昭和平成冬籠 半可ξ
(はなみなかれて しょうわへいせい ふゆごもり)

そうさ、あの時代はもう冬籠なんだ。


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11月7日

炉開きや左官老い行く鬢の霜 芭蕉
(ろびらきや さかんおいゆく びんのしも)

元禄五年十月頃。と。

お茶室の夏秋場の風炉をしまって、畳の角の下の冬春場の炉を開くことを「炉開き」という。

また、板の間の囲炉裏も炉と言い、冬支度で、囲炉裏を覆っていた板を外して炉を構えることも炉開きでよいらしい。

この句の場合は囲炉裏開きでやんしょね。

さてさて、立冬。

今年は未だに街に初雪もなく、ぬくぬくとした晩秋からの冬入りだ。

こんな陽気の紅葉はどこかぼやけてくすみがちだが、地に血を流しているのかと見紛うモミジが一本。

立冬やスターモミジの赤絨毯 半可ξ
(りっとうや スターもみじの あかじゅうたん)


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11月8日

白菊よ白菊よ恥長髪よ長髪よ 芭蕉
(しらぎくよしらぎくよ はじながかみよ ながかみよ)

天和年間、アラフォーの頃の作と。

寿多ければ恥多しを句にしたもの。だと。

それきいても、なんのこっちゃ? わけわからん。

芭蕉さんは談林風俳諧は下手だね。

洒落の切れがまるでない。

だから、侘び寂びポエム派に転向したんだろうね。

挫折からの成功っうところですかね。

さて、長々といえば、長い夜の時期到来だ。

ふつう、秋の夜長なんて言うけど、本当は冬の方がぜんぜん夜長だよな。

長くなるといえば、

髪の毛は短くなるのに眉毛とか鼻毛とか耳毛とかが妙に長くなる。

なんでやろ?

爺さんよ爺さんよ恥鼻の毛よ耳の毛よ 半可ξ
(じいさんよじいさんよ はじはなのけよ みみのけよ)

添付は以前作った、11月8日東京の長い夜のshadeのシミュレーション。

日の出 6時9分
日の入り 16時40分

11月9日

この道を行く人なしに秋の暮 芭蕉
(このみちを ゆくひとなしに あきのくれ)

元禄七年九月二十三日、郷里の意専・土芳に宛て京屋の飛脚に持たせて送った書簡の〆に詠んである句。

俳聖松尾芭蕉の大〆を飾るにもふさわしい句だ。

さてさて時代は流れて明治四十二年。

この道を間違いなく行きたい人のための妙品ひとつ。

医学博士で大文豪森鴎外先生立案の東京区分地図だ。

二三年前どこかの古本市で見つけた昭和52年の復刻版。

森林太郎立案東京方眼図

立案っうあたりがwwwである。

この道を行く人ばかり北颪 半可ξ
(このみちを ゆくひとばかり きたおろし)

昨今は人情までも北颪っうところが辛い。


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11月15日

山里は万歳遅し梅の花 芭蕉
(やまざとは まんざいおそし うめのはな)

元禄四年一月。と。

新春に賑やかに各戸を回る縁起物の三河万歳が回って来ない。

そりゃ貧乏な山里くんだりには、都会で十分稼いだ後に決まってるがね。

おいおいもう梅の花も咲き出しちゃったずら。

さてさて、
当地方も一向に冬が来ない。

観測所のある地点、つまり人々が暮らしている所に、
まだまだ初雪の記録が少ない。

寒いときに雨雲雪雲が無いという巡り合わせだとか。

妙に緊張感のない今年の初冬であります。

北方は返還遅し雪までも 半可ξ
(ほっぽうは へんかんおそし ゆきまでも)

暖かい冬。

日本にとっても「暖かい」のか?どうなんでしょう?

やっと郊外の山頂に積雪。

街はまだ。


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11月16日

素堂子の寿母七十あまり七年の秋、七月七日をことぶくに、萬葉の七種をもて題とす。これに連なる者七人、この縁にふれて、おのおのまた七叟の齢に習わん

七株の萩の千本や星の秋 芭蕉
(ななかぶの はぎのちもとや ほしのあき)

元禄五年七月七日。と。

徹底してめでたい縁起を担いでの七づくし。

七本が千本にそんで無限に・・・

めでたいめでたい。

さてさて、こちらの九つ島の行方は、めでたくなるか?ならぬのか?

苦苦苦とならぬよう願いたい。

北方領土の返還について、
安倍総理の熱意で、少しは進捗しているかのごとくの報道が連日だ。

確かに安倍総理は活発に動いている。

しかし交渉の内容は、鈴木宗男や森元総理が企んだ、

基本 ①領土として歯舞諸島色丹7島(7%)の返還 国後択捉2島(93%)は凍結 ②国後択捉2島の経済権益はロシアとの共同事業ということで(50%)返還 の線にそって行われている。

安倍総理の思惑は、

名を捨て実を取れ政策で、たとえ領土が返還されなくとも、
基本 歯舞色丹2島返還 国後択捉2島の経済権益の半分が返還され、自由航行が可能になり、結果、国後択捉経済特区のようなものが出来上がれば良いとする。

沖縄を米軍に差し出したように、
北方領土をロシヤに差しだし、領土問題に決着を付けようということだ。

いわば、ある日突然、家の庭先に隣に住むヤクザが、物置を建てて、こちらが文句を言っても埒が明かないから、このさい、うちの物もその物置に半分置かせてもらい、今後この先仲良くやろうって握手するということだ。

万事何事も安全穏便が第一。

強く乱暴な者には柔和に、
去勢を張るチンピラには脅しを、が
外交といえども重要なのだろう。

これも一つの策だろう。

余のような死に損ないに、日本の未来をどうのこうの言う資格はもう無いと気がついてはいるが、どうもなんかなあ?

  7%還って喜べあとはナシ 半可ξ
 (ななぱーせんと かえってよろこべ あとはなし)

このままじゃ、寝覚めが悪いったらありゃしない。

九島の七島還るがそれ全体の7%・・こちらはジリ貧

どうもなんかなあ?

放棄は腑に落ちないよ。


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11月28日

秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉
(あきふかき となりはなにを するひとぞ)

元禄七年九月二十八日作、51歳。

明夜芝柏しはく邸で興行される俳諧の為に送り届けた発句だ。

そう芭蕉さん調子が悪いのです。相当に悪いのです。
で、欠席覚悟で送ったのがこの句なんです。

病状はひどい下痢。

一週間全く快方に向かわなかった。

元禄七年十月八日。

床に伏せたまま口述で
これまた有名な一句

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)

そして、その四日後元禄七年十月十二日申の刻に他界する。

西暦1694年11月28日15時半頃(元禄七年十月十二日申の刻)

西暦でカウントすれば本日が本当の「芭蕉忌」なのである。


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囂kamabisuan庵