囂kamabisuan庵

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10月1日

田中の法蔵寺にて

刈り跡や早稲かたかたの鴫の声 芭蕉
(かりあとや わせかたがたの しぎのこえ)

貞亨五年秋。

『笈の小文』の帰路、広井村田中山法蔵寺(現名古屋市西区新道町)にて。と。

「かたかた」は方々ところどころの意。

稲刈りの後の田んぼの、方々に落穂を啄もうと鴫が出張っておるわいな。っうことだべか。

余は、かたかたの音の響きが、鴫たちが「刈った刈ったぜよ」と騒ぐ声の駄洒落に聞こえてしょうがないざんす。

これ、笈日記中の「覚閑三句」とあるもののひとつで、

他は、

粟稗にまづしくもなし草の庵 芭蕉
(あわひえに まづしくもなし くさのあん)

有とあるたとへにも似ず三日の月 芭蕉
(ありとある たとえにもにず みかのつき)

である。


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さてさて、

今当地では、ひと株ひと株刈り取って、稲架(はぜ)に掛けて天日で干すなんて人手のかかることはもうしない。

田中の道にて

刈り跡や早稲かたかたの機械音 半可ξ
(かりあとや わせかたかたの きかいおん)

現在の農法は、コンバインで稲穂を刈り取りタンクに収納、藁茎は細かに粉砕して田圃に散布。

即刻、納屋で脱穀し、乾燥機で乾燥。

ここまで、ちゃっちゃとやっても、そこそこ美味しいのは、品種改良のおかげだわさ。


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10月4日

海ある所に束ねたる柴を絵描きて

須磨の浦の年取り物や柴一把 芭蕉
(すまのうらの としとりものや しばいちわ)

制作年次不明の58句のうちのひとつ。だと。

新年を迎えようというのに、
あるものといえば1把の柴だけだ。

それも、須磨の浦とくれば、往時の平家の繁栄振り。

つまり、芭蕉さんは、

おら今は不景気で貧乏だから、わかって下さいな。

って、

海ある所に束ねたる柴を絵描いて、一句添え、どなたかに無心を願ったんではないでしょうかね?

さてさて、

昔は誕生日なんてなく、年齢を重ね数えるのは、年取りつまり新しい年が来たときだね。

どなたさまも、まとめてどん!だ。

それに比べて現代は、さすが個人の時代。

あたぼうだけど誕生日は人様々だ。

なんでこんなだれでも知っている話しをするかというと、

毎年、誕生月になると、

ポイントカードやら会員カードやらから、10%OFFとか20%OFFとか・・プチうれしいお知らせっうかお誘いっうものが、けっこうある。

てなわけで、本日は・・

いきなりの年取り物や肉300 半可ξ
(いきなりの としとりものや にくさんびゃく)


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10月6日

夜ル竊ニ虫は月下の栗を穿ツ 芭蕉
(よるひそかに むしはげっかの くりをうがつ)

延宝八年九月十三日、芭蕉37歳の作。と。

栗名月の日の句。

このころ芭蕉さんは、漢詩文調の句作に凝ってたらしい。

それに、佶屈(きくつ)調俳諧が多く目立つ。とか。

つまり、わざとわかりにくいムズカシイ言葉を選んで粋がっていたっうことだ。

深川移転だ何だかんだの時期、まあ、遅咲き多感期の芭蕉さんだったっうわけだ。

また、句中の虫は男=芭蕉さんで、栗は女=愛人寿貞尼だと下ネタ解釈もあるが、案外そんなところかも知れない。

だって談林風俳諧を捨てていない時代の句だもん。

さて、余の方はちっとも色っぽくもないこと。

某公園を散歩中、今時珍しい栗拾うおじさんを見かけた。

道の真ん中にそのおじさんが拾い残した栗があった。

虫に穿かれた虫食いだった。

昼堂々トオッさん天下の栗を盗ル 半可ξ
(ひるどうどうと おっさんてんかの くりをとる)

もちろんこの公園では植物動物の採集は禁止されていますが、まあいいじゃん。


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10月8日

木を切りて本口見るや今日の月 芭蕉
(きをきりて もとくちみるや きょうのつき)

江戸で俳壇デビューをエネルギッシュに狙っている桃青時代の俳諧誌「江戸通り町」(延宝六年夏刊行)に入集された「作品」のうちのひとつだす。と。

本口(もとくち)って言葉を知らなかったので、

広辞苑で見ると「元口」があり、丸太材で根元に近い方の太い端。と。

末口がその対義語だ。

状況は、積んであるどでかい材木の木口を見てなのか、はたまた、特にどでかく思えた今宵の満月を見て丸太への連想なのかようわからんです。

いずれにせよ、談林風俳諧師としては、材木の木口の○を月に見立てるっうあたりが自慢なんすかね。

本日の月齢は28.4、満月にはほど遠いほぼ「新月」。

でも、余は、開拓の村の森林鉄道の貨車に「満月」がいっぱい積まれているのを見てきた。

林鉄の今宵の客は今日の月 半可ξ
(りんてつの こよいのきゃくは きょうのつき)


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10月9日

折々は酢になる菊の肴かな 芭蕉
(おりおりは すになるきくの さかなかな)

元禄四年秋、菊の絵を描いてその賛だと。

確かに菊の酢の物はイイネ。

でも、うーん? この句は メニュー?か?

俳聖も聖たる句はほんの少しで、あとはみんな下らないと正岡子規は言ったが、子規でなくてもそう思う。

でもさ、これでいいんだと余は思うよ。子規さん怒りすぎ。

さてさて、

本日は今が旬、秋の新蕎麦を味わいにでかけた。

余が作る「札幌蕎麦屋番付」で横綱格の二店を梯子した。

二店とも蕎麦はとても美味かったが、汁がちょっとねえー。

新蕎麦は、汁の味がさっぱりの方が、味も香りも立つ。

それで余は、新蕎麦の折りは、レギュラーの汁をそば湯でちょっと割って、ちょっともの足りないぐらいにしてから戴くことにしている。

だまされたと思ってやってごらんさい!

絶対いいですよ。

新蕎麦の折々一句

新蕎麦や香り一番汁二番 半可ξ
(しんそばや かおりいちばん つゆにばん)

11時30分一軒目 毘沙門 

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12時45分二軒目 心空


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10月10日

蔦の葉は昔めきたる紅葉哉 芭蕉
(つたのはは むかしめきたる もみじかな)

元禄元年秋の作と。

芭蕉のこの句の前後は、

八月に、一年半におよぶ笈の小文の行脚から江戸深川に戻り、翌年二月には、奥の細道の旅に出る。

この句の肝は、「むかしめきたる」だが、これひょっとすると藤堂家(家紋は蔦)仕官時代の自分を青蔦の時期とし、あれから思えば随分と時間が経っちまったぜ・・もう紅葉だわさと言っているのだと思うずら。

この年の正月は久しぶりに伊賀上野で過ごし、まだその余韻があったんとちゃうか?

さてさて、

明治、時の開拓使が、開拓の元気づけにいち早く起こしたのが、官製の麦酒醸造所だわさ。

その遺構がこのユーモラスなマスクを持つ赤レンガの建物だ。

夏場は青い蔦で覆われ秋に紅葉し冬春は髭を剃ったようで・・とにかく一年中見るに堪えられる。

今は複合商業施設のファッションタウン。特にアウトドアファッショングッズのブランド店が充実している。

蔦の葉は今もときめく黄金哉 半可ξ
(つたのはは いまもときめく もみじかな)


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10月18日

秋もはやはらつく雨に月の形 芭蕉
(あきもはや はらつくあめに つきのなり)

昨日からちょつちょと秋も時雨かな 芭蕉
(きのうから ちょっちょと あきもしぐれかな)

元禄七年九月十九日ごろ、大坂其柳亭での八吟歌仙の発句。だと。

初めに出来たのが、ちょちょっとの句で、で整えて、秋もはやに落ち着いたようだす。

余はどちらも好きだす。

秋も日一日と段々深まって来て、時間が経っていくのを「月の形」一言で・・見事でやんす。

なんか切ない感じがしまして、すてきだわさ。

・・・・

朝からちょちょっと雨に秋の虹 半可ξ
(あしたから ちょちょっとあめに あきのにじ)

虹は夏の季語だから、秋は、秋虹しゅうこう・秋の虹となる。 虹は秋のぼやけた虹の方が好きだ。


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10月20日

桐の木に鶉鳴くなる塀の内 芭蕉
(きりのきに うずらなくなる へいのうち)

元禄三年作。

『千載集』藤原俊成の

 夕されば 野辺の秋風 身にしみて
 鶉鳴くなり 深草の里

が、嗅ぐわせどころだと。

ウズラの鳴き声はどんなかな?

きっと、小さい声で「コケコッコ」って鳴くんだろうナ。

って思ったら大間違い。

グワックルルルと高く響く良い声だそうだ。

それがよくて籠に入れて飼われたりしたそうだ。

さて、桐だが、

これも娘子が生まれた時に植樹して、嫁に行くときには箪笥に変わると昔聞いたことがある。

つまり、ウズラを飼い桐の木のある家は、

金持ちで風流なご趣味をお持ちで、嫁入り前の妙齢のおなごがいて・・となるんだべナ。

さてさて、

経緯は知らぬが、大きな桐の木があった。

過日の台風21号に痛めつけられたその老木は切り倒された。

しかし、あとに残った彼の木の御子たちが大事に扱われてる様子を好ましく思った。

人界はどこも後継者不足で膿んできているというのに、うらやましき大自然界のバランス感覚である。

桐の木に継嗣誕生塀の内 半可ξ
(きりのきに よつぎたんじょう へいのうち)


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10月27日

端午

明日は粽難波の枯葉夢なれや 芭蕉
(あすはちまき なにわのかれは ゆめなれや)

延宝五年、芭蕉34歳の時の作。と。

芭蕉が俳諧宗匠として立机したころの作と。
粽チマキは葦の葉っぱで捲くのだそうです。

元ネタは、西行「山家集」

津ノ国の難波の春は夢なれや
葦の枯葉に風わたるなり

を引いている。と。

西行は秋に春をおもい、
芭蕉は初夏に秋をおもっている。

人生の生を謳歌する祭りと人生の終わりを儚む西行さんの歌のこころは、太閤秀吉さんの辞世にも出てくる。

露と落ち露と消えにし我が身かな
浪速のことは夢のまた夢

これらの詩歌に共通するこころとは、
難波の地の持つごついエネルギーにも関係あるなかなあ?

さてさて、ごついエネルギー。

当地で一番の紅葉の名所、
いまや日本人にかわって、当地の経済をしっかり支えて下さる外国の御客様達がわんさかとおでましだ。

異国のごついエネルギーに満ち溢れていました。

ありがたいことです。

しんとして北都の秋は夢なれや 半可ξ
(しんとして ほくとのあきは ゆめなれや)

余は啄木の「一握の砂」

しんとして幅廣き街の
秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほいよ

をさらにミックスで引いてみた。


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10月31日

植うる事子のごとくせよ児桜 芭蕉
(ううること このごとくせよ ちござくら)

寛文年間の作。と。

つまり、芭蕉ハイテーンからアラサーの時代の句。

スナオに、赤児を扱うように桜の苗木を扱いなさいよなんて?っう解釈では、談林風時代の俳諧として、どうなんでしょうね?となりますわな。

妙に教訓じみて、それで?と、聞きたくなるような句ですな。

まあ昨今よう聞く、幼児虐待風潮が、あのお時代にもあったんでしょうかね。

そのパラドックス句っうところですかね?

超ソフトな社会派俳諧師か!?

さてさて、

余は稚児も稚児桜もとてもリスペクトして扱うざます。

で、姪の息子たちのために、かれらがウルトラマンのDVDを見る姿の絵を、頼まれもしないのに描いてあげることにした。

しかし、どう描いても漫画かアニメ画ぽくなってしまう。

ああ絵描きさんてすごいと知る七三(なみ)のじじいであった。

冬安居のごとく励まむ絵描道 半可ξ
(ふゆあんきょの ごとくはげまん えかきどう)

この冬の家遊びはこれにする。


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11月2日加筆

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