囂kamabisuan庵

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12月4日

応定光阿闍梨之覓

あなたふと、あなたふと。笠も貴し、蓑も貴し。いかなる人が語り伝へ、いづれの人か写しとどめて、千歳の幻、今ここに現ず。その形あるときは、魂またここにあらん。

蓑も貴し、笠も貴し

たふとさや雪降らぬ日も蓑と笠 芭蕉
(とうとさや ゆきふらぬひも みのとかさ)

元禄三年師走。

三井寺の別院定光坊の住職さんから能卒都婆小町の絵を見せてもらい、住職の請いに応じての一句だと。

さて、さて、さて、

昨日は南風ぶんぶんで汗ばみそうだったが、今日は西風がヒューヒューで、寒かった。

革手袋では手が悴んじゃう。

で明日からは真冬用のmontbellにしよう。

手袋に五指を分かちて意を決す 桂 信子
(てぶくろに ごしをわかちて いをけっす)

カッコの良い句ですな。


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12月11日

今日は向井去来の句で

玉棚のおくなつかしやおやのかほ 去來
(たまだなの おくなつかしや おやのかお)

始めは 面影のおぼろにゆかし玉祭 と詠んだところ、

芭蕉先生が、なんか古くさすぎだよ。

下五をはっきり親の顔ってした方がいいべや。
初心者は、深く考えすぎてかえって複雑で言葉が重くなっちまうだな。

と仰った。

さてさて、どうして今日はこの句なのかと言えば、

先ほど日文研の古写真データベースをパラパラ見ていたら、長崎大光寺より港の景っうのに目が止まったからだ。

というのも、ここは、

この写真を撮った可能性がある、明治の写真師内田九一の一族の墓所がある辺りからの写真であったからだ。

つまり、ここは内田九一にとって、親・家族・長崎を思う心の光景の場所だったのかも知れないと思ったのだ。

奥津城のおくなつかしやおやのかお 九一?

余も十数年昔の夏に一度だけ訪れたことがある。
しかし記憶には眼下の港の光景は全く無い。

やたらにヤブ蚊の攻撃がひどかったことだけは記憶している。

芭蕉も、向井去来の誘いにのってか、西国長崎への旅を夢見ていたという。


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12月13日

月代や晦日に近き餅の音 芭蕉
(つきしろや みそかにちかき もちのおと)

元禄六年、芭蕉江戸での最後の年越し。

月代 これは「さかやき」ではなく、「つきしろ=月白」だそうだ。月が昇ろうとして空が明るくなっていることを言う秋の季語のだと。

状況は冬も冬、年の瀬である。

素人にも解る季ダブりだが、気にしない気にしない。

どっかで餅を搗いているぜ、そうかそうか、もう大晦日だわなぁと、音の方角を探れば、東の空がほんのりと月白になっている。

平和ですな。

清水寺の和尚さんのこの年の漢字は「災」ではなかったことは確かでしょう。

さてさて、清水寺は長崎にもあって、舞台代わりに高いー石垣だ。

日文研のデータベースYA033岩崎家アルバムにも、その舞台からの眺望がある。

石灯籠がドデンと中央に鎮座しているやつだ。

さてさて、本日は、この石灯籠の写真は何時撮られたかをチャチャッとご説明いたそう。

明治の初期の頃の冬である。
それも冬至を挟んでの前後二週間ってところである。

例によって、太陽の動きによる灯籠の影の長さと角度によって、大体の時期は推測できるのである。

シミュレーションは本日12月13日11時00分設定でやってみた。

長崎明日の午前11時の太陽の位置は北から約160°高さは31.2°だ。

短日の顔ふりむけば陽の虜 原裕

わかるわかる。


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12月20日

之道万句

しばらくは花の上なる月夜かな 芭蕉
(しばらくは はなのうえなる つきよかな)

元禄三年入門大坂の之道の、万句興行のために春発句として与えた句とか。

一説には笈の小文の旅中貞享五年吉野にて詠まれた句とか。

ちなみに笈の小文にはそれは無いので、その旅の中でのストック句ということだろう。

さてさてさて、

この句の句碑が、肥前長崎は清水寺に文政七年建てられた。

日本全国至る所に芭蕉の句碑はあるのだが、それらの句が、全てそこで詠まれたと思うのは御法度ですよ。

明治初期のその清水寺遠望の写真がある。

一枚は明治五年夏もう一枚は明治七年冬だと。

撮影時期の本当のところは正確に解らんが、夏場と冬場の違いだけは判る。

長崎の句碑に使われた仮名遣いで

志はら九八雪のうへ那る月夜かな 半可ξ
(しばらくは ゆきのうえなる つきよかな)

さらに、明後日は冬至。
黄色い月を湯の上にも浮かべて楽しもう。


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12月21日

小松と云所にて

しをらしき名や小松吹く萩芒 芭蕉
(しをらしき なや こまつふく はぎすすき)

元禄二年七月、奥の細道小松での句会の発句だと。

小松とはこれまた優美な名前でござる。どうりでご当地では、秋風にそよぎ揺れる萩すすきまでも、可憐で慎み深く上品でございますな。と、お得意のご挨拶。

当日の嵐模様の天候まで詠み込んで、破調の句を持ってくるあたりがまた芸達者っうところですな。

さてさて、先日、隣町の蔦屋書肆まで行ってきた。

雪しまき道や中絶ふ白世界 半可ξ
(ゆきしまき みちやなかたう しろせかい)

夏にはブラックアウト、暮れにはホワイトアウト。

災いの一年。命だけは無事でなにより。


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12月22日

雀子と声鳴きかはす鼠の巣 芭蕉
(すずめごと こえなきかわす ねずみのす)

軒端の小雀がチュンチュン、
軒裏で鼠もチュンチュン輪唱をはじめたとか?

大先生らしからぬヘンな句だ。

さて、さて、さて、

このところ中性脂肪燃焼のため、ツルツル雪道を果敢にサッサカ歩いていたら、ちいちゃな植え込みからものすごいチュンチュン大合唱が聞こえて来た。

声のぬし達は、まるまる肥えた寒雀数十羽。

少しずつ近づいたら、ものすごく大きな羽音をあげて飛んでった。

雀の長老が、「脇へ行くな鬼が見とるぞ」と号令したに相違ない。

脇へ行くな鬼が見るぞよ寒雀 一茶
(わきへいくな おにがみるぞよ かんすずめ)


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