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柴の戸に茶を木の葉掻く嵐かな 芭蕉
(しばのとに ちゃをこのはかく あらしかな)
延宝八年冬だと。
ピユーカシャカシャと木っ葉をうずまかせて、お茶でもいかがと点ててくれてるんだすわ。ご丁寧な詫び里のおもてなし・・あっはっはあでやんす。
つまりは、都落ちの僻み恨めしや節であるが、粹に詠んでみたじっうところだわさ。
本日朝から白い嵐。
家家にスノウシュガーを春嵐 半可ξ
(いえいえに すのうしゅがーを はるあらし)
学校も休ませるところもある此の嵐でも、
春を祝うデコレーションケーキでも作ってくれているんだわさと思ひ、和むとしよう。
いざともに穂麦喰はん草枕 芭蕉
(いざともに ほむぎくらわん くさまくら)
はいはい、ご一緒致しましょう。決していいとこに泊まって、名物を食べ遊ぶような楽な旅ではござらんが、よろしければ、どうぞ!どうぞ!
とりあえず芭蕉せんせ一流の謙虚なつもりのご挨拶の句でございますな。
さてさて、当地、まだまだ雪解けは進まぬが、
ほんとの春になったら、相棒のチャリンコとお気に入りの蕎麦屋を一軒ずつ丁寧に訪問してみようと思うだじ。
いざともに蕎麦ば喰はん春の昼 半可ξ
(いざともに そばばくらわん はるのひる)
啓蟄や蕎麦喰ふ虫の目覚めかな 半可ξ
(けいちつや そばくうむしの めざめかな)
先ずは
美園 けん豆
新井山 相生坊
大曲 なかむら
西野 雨耕庵
桑園 こはし
横綱制覇であとはぼちぼち・・
余は、いつのころからか、外昼飯は主にもっぱら蕎麦になっただす。
それ、水の旨さと、風土のおっとり具合が、ちょうどいい蕎麦屋さんをたくさん産みだしているからでないかい。
当地の人気蕎麦屋は、5・6組でいっぱいになるていどの小店が多く、それが市中広く点在しちょる。
お江戸の大店のような活気も、慌ただしさもあまりない。
それになぜかうっすらとJAZZが流れているお店が多い。
たかが蕎麦なのに、ちょびっと気取っていて、若干辛気くさい感じが、逆に札幌の蕎麦屋の特徴なのかも。
明日6日は啓蟄。
したっけ、這い出せるのは今のところ「思い」のみだわさ。
いまだ雪2尺。
蛍見や船頭酔うておぼつかな 芭蕉
(ほたるみや せんどうようて おぼつかな)
元禄三年。と。
近江の瀬田の蛍見の夜。だと。
先日の琵琶湖マラソンのあったあたりの夏の光景だわさ。
船頭さんが酔っちゃってなんて暢気なもんだなんて言ってられない。
立派な酔っぱらい運転ならぬ酔っぱらい操船だわさ。
4・50年前までの日本は、酔っぱらい・・には、意識が相当いい加減だったけどね。
人間、調子に乗ると、どこまでも乗りっぱなしっうところですかね。
困ったもんだが、偉くさえなれば元がとれるらしい。
老人の世相見
答弁やお上護りておぼつかな 半可ξ
(とうべんや おかみまもりて おぼつかな)
守られてるお上の方も、たぶんうらで必死なんですな。
関係ないけど、人生で余が使ったことのない文字のストックが増える。
次はなんだろ?
作期不明。だと。
古法眼は、室町時代の御用絵師、狩野元信だと。
年の暮のぼろ市にえらいもんが出ちょるわ。
こんな高価なお品、並みのお家にあったもんとちゃいまっせ。
どこのどなたか判りませんが、哀れなこってござんす。
さてさて、
財務省の奥のお蔵に隠されていた、政府高官がとても大事に公開を拒み続けたイッピンが、国会の市とやらに出るらしい。
この期に及んでもなお、今まで見せていたのはレプリカする際に、ところどころ写し忘れていたものでして、悪意はなくたまたま・・とか皺声で、大臣は見得を切るんじゃねえかいな。なさけない。
国会というところは、哀れな常識を持ったひどい社会だわな。
公文書でどころあわれ暮の春 半可ξ
(こうぶんしょ でどころあわれ くれのはる
そして時の総理は、こんないいかげんな書類を作る人々の言ってることを信用できるんですか? と、こんどは役人たちを非難しまくるのではと心配だわさ。
恥の上塗りでどんな御殿を建てようとしているのだろうかね?
ああ、これは、余の午の夢の中でのできごとで、現実はもっとまとも、誰かさん達の春はもう終わりだと思うけどね。
杜国の侘び住まいを訪問した翌日、芭蕉・越人・杜国は連れだって伊良子岬に馬で出かけた。と。
所払いを命ぜられた杜国の塞ぎ落ち込む境遇を慰めようと、大空でピィーッピィーッと舞う一羽の大きな鷹の自由な姿に、杜国が開放される希望の日々への念いを託して詠ったものだっちゃ。
でもさ、現実はなかなか厳しかっただわさ。
現今も、世の中の秩序良俗乱れ、人の心を切り裂くことが出来るもののみが出世し、正も悪も区別無く過ぎていく。
不正は秩序を維持するために、力によって肯定され、不正によって不正は表世界から消され、ゆえに世は清きところと喧伝され、無力なる若者に老人に、昨日・今日・明日の変化は無い。
かなしいぞ。
なにひとつ見つけられずに雪の隙 半可ξ
(なにひとつ みつけられずに ゆきのひま)
元禄二年。『奥の細道』にでかける前。林桐葉宛書簡に。と。
なんとも正真正銘談林風の句だすな。
手紙、つまり私信ですのでお気楽に、作り笑顔というところでせう。
っーうてことは、
そう言えば・・おぬしの御子達(たぶん女の子)、だいぶ大きくなってもうそろそろお年頃じゃけんのう悪い虫が付かんかとご心配じゃろっうご挨拶句じゃねぇ?!と、余は勝手に思う也。
そうじゃなければ、実は、林桐葉という御仁、相当な好色家で・・おめさままた春に浮かれておなごのおけつ追っかけてんじゃねぇ?ておちょくってるっう説も、人間くさくてよござんしょ?とまたまた余の勝手な予想だがさ。 何れにしてもほんわかでんな。
さて、余は突然Arduinoアルディーノがやりたくなってヨドバシで入門セットを買ってきた。
種蒔や見ぬ技学ぶアルディーノ 半可ξ
(たねまきや みぬわざまなぶ あるでぃーの)
衣更
一つぬいで後に負ぬ衣がへ 芭蕉
(ひとつぬいで うしろにおいぬ ころもがえ)
衣替え(衣更)はむろん夏の季語。
笈の小文は、
江戸時代中期の俳諧紀行。松尾芭蕉著。半紙本1冊。
宝永六年刊。
別名『庚午紀行』『大和紀行』『卯辰紀行』。
貞享四年 十月江戸を出発、鳴海、勢田から保美村の門人杜国をたずね、郷里で越年、伊勢に詣で杜国を同道して吉野の花を見、高野山、和歌浦、奈良、大坂、須磨、明石を翌年四月まで旅した紀行。と。
この句は元禄元年の四月、和歌浦から奈良へ向かう中での句だで経路は不明だそうだが、例の日本一長い路線バスの道ではないかと余は思うでがす。
で、おひらはまだまだ一枚も二枚も着込む季節がら、厚衣も手離せない。
せめてと、本家囂庵とは別のHPを全面リニューアル衣替えした。
このホームページは、CGIで構成しているため、検索ではUPしてこないので、URLを知っている人しか見ることができない。
各ページはmenuからメンバーが見たいページをチョイスする度に、CGIが対応したページのHTMLを書き起こす方法をとっている。
検索ロボットが走り回るところには、彼らの餌のHTMLはほとんど存在しないから、検索にも引っかからないっうことだ。
はなしが長くなったが、作業は、120〜130行ほどのテキストでメインフォーマットを一枚書けばOK。
約180ページのレイアウトが一挙にどーんと更新できるっうわけだわさ。
15年前は、毎月一枚一枚HTMLを書いていたが、今は素材をフォルダーに投げ込めば終わり。
いい時代だ。
1つ書いてあとはおまかせ衣替え 半可ξ
(ひとつかいて あとはおまかせ ころもがえ)
夏には、本家「囂かまびすあん庵」のdata蔵をこの手でリニューアルせんと思っている。