囂kamabisuan庵

2016  2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023 2024 now
1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

9月2日

猪もともに吹かるゝ野分かな 芭蕉
(いのししも ともにふかるる のわきかな)

元禄三年、幻住庵滞在中の作。と。

このころも猪などによる農作物の被害があったらしい。

「里の男ども入り来たりて、猪の稲食ひ荒し、兎の豆畑に通ふ」(幻住庵の記)

当地はヒグマがうろうろと民家のコンポストや畑のスイカやトウキビをあさり喰うておるらしいが数百年の時代を経ても変わらぬの。

同時に台風の被害も人々の悩みの種であったこともわかりますな。

さてさて来年の干支は問題の「猪=亥」。

先日早くもカレンダーをget。

おや?

うーむ?

平成三十一年の表記がない。

元号もともに消さるる暦かな 半可ξ
(げんごうも ともにけさるる こよみかな)


拡大する

9月3日

唐破風の入日や薄き夕涼み 芭蕉
(からはふの いりひやうすき ゆうすずみ)

元禄五年六月。素堂と巻いた両吟歌仙。と。

あんなにジリジリカンカン照ってたおひさんも傾いて、なんかスーッと夕涼みっう言葉がピッタリな頃合いだわさ。

この句の時刻は、添付写真を撮った16時と同じ頃でやんしょかね?

でも、2時間のサマータイムが実行されたら、この句の時刻は丁度退社時間だわさ。(サマータイム 18時 従来 16時)

それから2時間ばかし太陽の下のビヤガーデンでビールを飲んでもまだ薄暮。(サマータイム 20時 従来 18時)

1時間帰りの電車でうとうとして家に帰る。(サマータイム 21時 従来 19時)

家に着いたらもうナイターは終わってる。

それナイターと違うじゃん!(一往突っ込んでおく。)

しかし、陽の入りから1時間ちょいだからまだまだ暑い暑い。

さあさエアコン付けて寝なくちゃ。(サマータイム 23時 従来 21時)

明日も日の出とともに起きて、出社するぞ。(サマータイム 6時 従来 4時)

毎日が日曜日の余にとってはどうでもいいサマータイムですが、現役さんには体内時計の調整がたいへんだわな。 で、サマータイム的には

唐破風の直射ギンギラ夏の宵 半可ξ
(からはふの ちょくしゃギンギラ なつのよひ)


拡大する

9月5日

大津にて

三尺の山も嵐の木の葉哉 芭蕉
(さんじゃくの やまもあらしの このはかな)

元禄三年師走。と。

嵐の後に木の葉やら何やらが沢山吹きだまったりで、こんな句なんでしょうかね。

見たまんま、出来損ないのTVレポーターの現場からとかわらんだすな。

さて、この句の季語は「木の葉」。

「嵐」は単独ではたんなる気象現象で季語ではござらん。

台風21号。深夜に当地をかすめ通過いたし、木の葉の山は一通り、オプションに倒木、木の実の山々。

いろいろ置き土産を置いていきました。

良いも悪いもわからんが、人工の構造物などの被害はそんなにござあませなんだ。

当地の植栽たちは台風に慣れていないので、極めて脆弱であることを知っただす。

特に駄目なのが、トドマツとかエゾマツとかモミの木などの針葉樹。途中で折れている木のほとんどが松ちゃんたちだった。

照葉樹系は小枝を何本も折り落として本体を護っている感じかな。それでも耐えられなかったやつは根元からひっくりかえっていただわさ。

(じいさんのおおざっぱな分析だから半分くらい信じないように。)

さてさて、

区区に木の実倒木野分後 半可ξ
(まちまちに このみとうぼく のわきあと)


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する


拡大する

9月7日

よく見れば薺花咲く垣根かな 芭蕉
(よくみれば なずなはなさく かきねかな)

貞亨三年、44歳。と。

垣根の片隅にペンペン草が地味に咲いてたよ。

どおってことないつまらん句だが、句のヒントっうか自慢は、中国の詩人程明道の 「萬物靜觀すれば皆自得す」っうフレーズが種だと。

仕掛の種が分かっても、で?、何のこっちゃ?

おひらには相も変わらずつまらん句だ。

さて、ぺんぺん草は知っているが、最近道ばたでよく見る、線香花火のようなこの白い花はなんつう花だべか。

秋の暮れ君の名を問ふ白き花 半可ξ
(あきのくれ きみのなをとう しろきはな)

webで探っても、セリ科の植物の花であることは分かるのだが、結局何の何兵衞なんだか分からない。

よく見てもやっぱわからない。


拡大する


拡大する


拡大する

9月12日

枯枝に烏のとまりたるや秋の暮 芭蕉
(かれえだに からすのとまりたるや あきのくれ)

延宝八年作。37歳。と。

お江戸下町のど真ん中から、深川の在に引っ越した時期の作だわさ。

まもなく

枯枝に烏のとまりけり秋の暮 芭蕉
(かれえだに からすのとまりけり あきのくれ)

と定まってジャンジャン!

当時の一級俳句と評判で、お手本にもされた作品だと。

さて、

一昨夜、昨夜連日で氷点下の所もあった北海道。

ジンジンと、秋深しである。

でも残念なことに、北海道の春と秋は、ちょー短い。

一番長いのは、冬で、雪のない冬、雪のある冬、厳寒の冬、春めいた日射しの冬とメニューは豊富だ。

次に長いのは、夏で、長めの初夏、二週間の盛夏、すっかり秋めいた夏の三つ。だんだん淡泊になる。

春は、ああ春だと思っていると終わる春だけ。

旬の秋刀魚を三四本食しているうちに終わってしまうのが秋。

そんな秋の日も日中は20度を越えるから少し暑い。

さてさて、

昨日会った烏さんもどうやらノドが渇いてお水をご所望のようだ。

烏まで飲みに立ち寄る秋の水 半可ξ
(からすまで のみにたちよる あきのみず)

秋になりちょっとした溜まり水でもなんでもが、澄んで美しく見えることを秋の水というのだと。


拡大する

9月13日

二月十七日神路山を出づるとて

裸にはまだ衣更着の嵐哉 芭蕉
(はだかには まだきさらぎの あらしかな)

伊勢に滞在中だった芭蕉は、元禄元年二月十八日の父の三十三回忌のため、神路山のある伊勢を立ち伊賀上野に向かう。

なんでくそ寒いこの時期に裸なんですか?

神路山は、伊勢神宮内宮の南方の山間地域一帯のことで、ここにも、天宇受賣命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊ったあの伝説の天の岩戸がある。

神路山が嵐で騒がしい様を、日本有史第一号のストリッパーアメノウズメさんの熱演に、八百万の神々たちがヒューヒューピーピー喜ぶ様を模してシャレてみた訳だわさ。

ちょっと粹でやんすな。

さてさて、

ストリッパーは自ら脱ぐのが商売ですが、
余の買ってきたストリッパーは脱がせるのが商売。

パレットにこびりついた絵の具の色たちを剥がすわけ。

それにつけても、世の中から色が消えていく。

おまけに、台風21号北海道胆振東部地震。

自由で普通が難しい時代になってきた気がします。

野分あと色を失う地震の夜 半可ξ
(のわけあと いろをうしなう なえのよる) アメノウズメさーん!!


拡大する

9月14日

愚案ずるに冥土もかくや秋の暮 芭蕉
(ぐあんずるに めいどもかくや あきのくれ)

延宝八年作。37歳。と。

「愚」案ずるは「私が」案ずるで、「愚息」とか「愚妻」とかの、今時の感覚では異常な程の謙譲表現の「愚」だ。

妙に老成して観念的だが、発句の背景が気になるわいな。

このころ、桃青=芭蕉は小石川の公共工事の現場監督官としても、新進気鋭の俳壇王子としてプチ昇り龍であった。

のに!

居を都心の小田原町からド田舎の深川のほとりに移し、あらあら、貧乏だなんだかんだとぼやきもはじめる。

秋の暮の淋しさはなんとも形容しがたい。
冥土もこういうものだろう。

こんな普通な秋の暮れの光景ではないのでござる。

情緒的な心安らぐ淋しさどころか、内心はうらはら、ものごとうまくいかない、オマケに都落ち。

色々と試練ばかりで、まるで地獄行きか極楽行きかさっぱりわからん境遇は、冥途じゃん。と。

つまり、延宝八年の「秋の暮れ」の気分を、ぼやいてギャグってる、心証句だわな。

芭蕉さんの性格がちょびっと分かる句でもありますな。

また、深川移転の謎にもかかる句でしょうね。

ストレートな本心で発すれば、

オラが今死での山地や秋の暮れ 半可ξ
(おらがいま しでのやまじや あきのくれ)

古い昭和のギャグだが、ひじょーーに、きびしーーい!である。


拡大する

9月15日

那谷の観音に詣ず

石山の石より白し秋の風 芭蕉
(いしやまの いしよりしろし あきのかぜ)

奥の細道加賀小松への途中、白山信仰を受け継ぐ那谷寺(なたでら)にある十一面千手観世音菩薩を拝観しての句。

昔から、三番目の四季の秋のイメージ色は「白」と決まっております。とか。

なるほど、青龍・朱雀・白虎・玄武、青春・朱夏・白秋・玄冬、東南西北、春夏秋冬、青赤白黒。

さてさて、

石山の石とは、那谷寺の凝灰岩の岩肌を言うとるのか、近江の石山寺の珪灰石の岩肌を言うとるのかもめておるらしいが、どうでもよか。

芭蕉さんこの句で言いたいのは、

霊山白山ゆかりの石山の石も真っ白だけんども、白って言えば、那谷の観音さんは秋真っ最中で、よござんすねえ! 将に、白秋ちゅう時でござんすよ。

ってとこでしょう。

芭蕉さん、時と場合に応じて、”いまだに” 談林風の句作りもいたします。

おらほの今朝はみごとな霧の朝でござんした。

秋風と聞けば羽織らむもう一枚 半可ξ
(あきかぜと きけばはおらん もういちまい)

下らなく朝ドラをシャレテみました。


拡大する

9月16日

明石夜泊

蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉
(たこつぼや はかなきゆめを なつのつき)

元禄元年四月二十日

兵庫より須磨明石と名所旧跡を巡覧。この夜須磨泊。

一ノ谷内裏やしき、めの下に見ゆ。其代のみだれ、其時のさはぎ、さながら心にうかび、おもかげにつどひて、二位のあま君、皇子を抱奉り、女院の御裳に御足もたれ、船やかたにまろび入らせ給ふ御有さま、内侍・局・女嬬・曹子のたぐひ、さまざまの御調度もてあつかひ、琵琶・琴なんど、しとね・ふとんにくるみて船中に投入、供御はこぼれて、うろくづの餌となり、櫛笥はみだれて、あまの捨草となりつゝ、千歳のかなしび此浦にとヾまり、素波の音にさへ愁多く 侍るぞや。(笈の小文より)

かつての栄華の姿は見えず蛸壺がひとつ波打ち際にころころと。赤々とのぼる二十日の月がおひらの心を火照らすぜ。

味のある句でござんすね。

赤旗の平家を意識しての、蛸・赤い月という趣向も好きだ。

さてさて、

おひらは、となり街の公園の蛸の滑り台で一句。

蛸滑りはかなき夢の秋の昼 半可ξ
(たこすべり はかなきゆめの あきのひる)

盛夏には真っ黒に日焼けした子供たちが、ゆでたこ状態に顔を赤らめ、蛸の墨よろしく蛸さんの口から元気に次々と滑り降りていたことだろう。(北国のはかなき夏の夢シーンより)


拡大する

9月19日

瓢竹庵に膝を入れて、旅の思ひいと安かりければ

花を宿に始め終りや二十日ほど 芭蕉
(はなをやどに はじめおわりや はつかほど)

元禄元年春。『笈の小文』の途中、伊賀上野の門人岡本正次苔蘇宅にて。と。

咲きしより 散りはつるまで 見しほどに
花のもとにぞ 廿日経にける

関白前太政大臣藤原忠通『詞花集』の引用の挨拶句。だと。

二十日は長いのでしょうかね? 
はたまた、短いのでしょうかね?

さてさて、

余も本日、初めての油絵「江別の川堤」をとりあえず完成とせり。

始めは中夏の頃で、終わりは中秋となりぬ。

でも実際に絵筆を持った時間は数十分だけど、乾燥させたりが長くかかる。

絵の具手に始め終りや秋半ば 半可ξ
(えのぐてに はじめおわりや あきなかば)

しかしね、時間ばかりかけ、未だ絵の域に達せずだわな。

どうみてもぬりえ。

まあ、そのうち、絵に心を描き込められるようになるだろうと楽観している。


拡大する


拡大する

さてさてさて、絵が中途半端だからもう一つ。

始めと終わりといえば、詰め碁・詰め将棋。

駒の配置や盤面を見て、始めから終わりまでを脳の中でシミュレーション。

このところは、日本将棋連盟FBの「頭の体操に詰将棋」で遊んでいる。

とくに11手詰めのときは燃える。

でもね、

朝一に始め終りや夜食どき 半可ξ
(あさいちに はじめおわりや やしょくどき)

そのうち、なんでも、即読み切れるようになるだろうと楽観している。


拡大する

更に加筆すれどもゴールから遠ざかる思いもする。10月6日。


拡大する

更に更に加筆すれども・・10月10日。


拡大する

9月22日

みそか月なし千とせの杉を抱あらし 芭蕉
(みそかつきなし ちとせのすぎを だくあらし)

伊勢社の外宮の千年杉が嵐の中で耐えている姿を詠んだ句だと。

解釈で、千年杉を抱いているのは、芭蕉か嵐かと未だに議論の種であるという。

でも、これは、台風の夜がテーマなんざんしょ。

余は嵐説しか考えられんけどな。

つまり、この夜は月がない嵐の夜だから星もものすごいのよ。

で、その漆黒のベースに満天の星空を雲がビュービューと流されて行くわけよ。

さらにさらに、千年杉が強風に煽られ右や左と大きく揺れる。

雲も千年杉もみんな荒々しく弄ばれているっうわけよ。

余にいわせれば、芭蕉さんの内面願望を潜在下に見られる句ってとこでんな。

嵐を擬人化した句。

それもエネルギッシュに、エロチックに。

さてさて、

9月4日台風21号。

よくよく日は、胆振東部地震。

余の住む街では、幸いに人的被害はなかったが、地震被害より台風の被害のほうがむしろ目立った。

震源地の被害と違い、当地の地震による道路陥没や住宅地の液状化や停電は、何らかの手当がちゃんとなされていれば起きなかったいわば人災型被害で、一方台風21号は未曾有の天災型の傷跡を諸処に残していった。

当地では、公園の大木がバタバタと倒れた。

芭蕉さんに言わせれば、みんなみんな、嵐に抱かれ弄ばれ倒された。

豊平という地区に植物公園がある。

ここも例外ではなく数本の大木が倒れていた。

太いヤチダモの年輪を数えてみたら60を越えていた。

なんと無念のことでありましょう。

倒木の”年輪”を数ふ野分後 半可ξ
(とうぼくの よわいをかぞう のわけあと)


拡大する


拡大する

9月28日

月見する座にうつくしき顔もなし 芭蕉
(つきみする ざにうつくしき かおもなし)

元禄三年中秋の名月。

大津義仲寺の草庵で月見の句会。

そのおりは、

 名月や座にうつくしき顔もなし 芭蕉
 (めいげつや ざにうつくしき かおもなし)

だった。

後日「月見する座に・・」改良したとかや。

今年の中秋の名月は9月24日だったが、
数日後、とある田舎のレストランで見かけた、のっぺらぼうのジャック・オー・ランタン予備軍のかぼちゃ君たちが、とりあえずハロウィンまでヒマだから、みんなで並んで月見でもしていそうで・・・。


拡大する

月見する座におそろしき顔もなし 半可ξ
(つきみする ざにおそろしき かおもなし)

こんだけいっぱいジャック・オー・ランタンが灯っていたら面白いだろうなと思いつつ・・ついつい落書きしてみた。

もちろん、かぼちゃにではないですよ。

実は、かぼちゃに書きたかったけどね。やめた。


拡大する

囂kamabisuan庵