囂kamabisuan庵

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5月2日

鎌倉を生きて出でけん初鰹 芭蕉
(かまくらを いきていでけん はつがつお)

元禄五年

当時初鰹はお江戸では金一両もしたんだそうだ。

早駕籠早馬で運んできたんだろうね。

別の記録に 鎌倉は 活きて出でけんはつがつお としたのもあるようだ。

鎌倉の鰹は新鮮だが、江戸に来ちゃうとイマイチだぜといった読み取られ方が多く見受けられるが、甘いね。

この句は、

鎌倉といえば頼朝。
その頼朝の残虐非道を揶揄した句なんですね。

多分!

それで、あそこから生きて出てこれた初鰹は偉い!! と。

だって、上総広常も義高も結果的に義経も生きて鎌倉を出て行くことはできなかった。

どちらかというと反体制派の人と余は思う芭蕉は、粛清に次ぐ粛清で開いた頼朝の鎌倉幕府を、嫌いだし認めたくはないんでしょうな。


芭蕉の大好きな西行は、平泉に向かう途中鎌倉で頼朝に誘われお宅訪問をしたが、もちろん生きて鎌倉を出たどころか、頼朝がお礼土産にくれた銀の猫の香炉を、館を出てすぐ門前で遊んでいた子供にポイとやっちゃったとか。

芭蕉さんの木曽義仲好きも、反骨西行好きも、みんなアンチ頼朝!!からなんでしょうな。

多分!

余は、最近 三谷幸喜の大河にやられています。

さてさてさて、

実は余も、生きて鎌倉を出ることは叶わなかった。

コロナ駆け鎌倉デート冬の海 半可ξ
(ころなかけ かまくらデート ふゆのうみ)

半世紀以上も前のことでした・・

5月16日

梅こひて卯花拝むなみだ哉 芭蕉
(うめこいて うのはなおがむ なみだかな)

貞享二年四月五日。野晒紀行の帰路、熱田で。

蕉門の俳人で、梅好きの鎌倉圓覺寺の大顛だいてん和尚の訃報を其角の手紙で知り、其角への返信の中に詠んだ追悼句。

和尚の死の春から今初夏。季節の流れは時間の流れ。卯の花の咲く頃の霖雨の季節に流す涙も縷縷止まらない・・

さて、さて、さて、

だらだらと だらだらと 卯の花臭し 半可ξ
(だらだらと だらだらと うのはなくたし)

卯の花臭し(うのはなくたし)は、旧暦卯月の陰鬱な長雨の不快さをいうとか。

卯の花が霖雨にやられていくのは少々は絵になるが、covid19の方のだらだらぶりは困りものだ。

人間たちの慣れに比例し、やつらは、おのれの仲間をだらだらと増加させている。

姑息にも、毒性を抑えつつ、感染力を強める変容を際限なく繰り返している。

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このだらだらを だれかバシッと止めてくれないかいな。


5月23日

田や麦や中にも夏のほととぎす 芭蕉
(たやむぎや なかにもなつの ほととぎす)

元禄二年四月七日。
奥の細道旅中訪れた、那須の黒羽桃雪亭での作と。

かたーや、緑の水田。緑のー水田。
こなーた、黄色い麦秋。黄色いー麦秋。
行司は、美声のほととぎすでございます。
ってか?

さてさて、さて、

明日から、井山さんと一力さんの、第77期本因坊決定戦七番勝負の第2局が、なんと日本一暑い町のラグビー場で始まるそうだ。

ラグビー場対決と言っても、残念なのはピッチではなく、スタンドの特別室での戦いだそうだ。

フロワーに薄ぺらい畳ゴザを敷いてのにわか仕立てに、少しかわいそうな気もいたします。

白や黒や碁盤の上の夏の陣 半可ξ
(しろやくろや ごばんのうえの なつのじん)


YouTube二日目はドーンと引いてきました。


5月31日

菜畠に花見顔なる雀哉 芭蕉
(なばたけに はなみがおなる すずめかな)

貞亨二年、42歳。

『野ざらし紀行』の旅中。滞在中のどこやらで、伊賀からやってきた土芳らと吟行したり歌仙を巻いたりした折の句だと。

プレバトのナッチャン先生だと凡人か才能なしにされちゃう句ですな。

さてさて、さて、

風がものすごく強く吹いた翌日、一日だけ天気がよろしいということで、チャリ行す。

で、豊平のクマが出ない都心の小さな森の植物園のベンチで休憩中、雀たちが路上に降り積もった、楓のプロペラ種子を夢中になって啄んでいた。


秋になって、クルクル風に乗って飛び回るはずが、あらら!

それにしても、まだ青い実は雀様には大受けのようだった。

木下闇食べホ顔なる雀かな 半可ξ
(こしたやみ たべほかおなる すずめかな)

そおいえば余は夏先のあの甘酸っぱい青リンゴが大好きだった。


囂kamabisuan庵