囂kamabisuan庵

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8月19日

今日は藤豆の句二つ

角川歳時記の「藤豆」に掲載の二句

藤豆の垂れて小暗き廊下かな 虚子
藤豆は手のとどかざるなほ上に 岳陽

角川歳時記:
藤豆 ふぢまめ、これがいんげん豆である。晩夏・初秋のころ、紫色もしくは白色の蝶形花を・・・とインゲン豆の説明。

でも、

冒頭の二句の「藤豆」は、果たして、歳時期にある「インゲン豆」だろうか。

高浜虚子も杉山岳陽も、藤棚の藤の実のことを詠んでいるのだとオイラは思う。

写真は、

街中の小公園の一角にある藤棚。

春にはまさに、藤色の大房の花を咲かせ、夏には、チャリンコ爺いの大汗を鎮める木陰を築くり、そして秋には、数十数百発の種子をひっそりと辺り一面にぶっ放し、冬には、心地よい陽光をいっぱいに浴びられる場所。

寺田寅彦は、この藤の種子が鞘から弾け飛び障子に当たる音から、科学?し、随筆藤の実に「豆種子の飛び出すスピードは毎秒十メートル以上の初速をもって発射された」と書いている。

「昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。子供がいたずらに小石でも投げたかと思ったが、そうではなくて、それは庭の藤棚の藤豆がはねてその実の一つが飛んで来たのであった。宅のものの話によると、きょうの午後一時過ぎから四時過ぎごろまでの間に頻繁ひんぱんにはじけ、それが庭の藤も台所の前のも両方申し合わせたように盛んにはじけたということであった。・・・」(藤の実)
青空文庫

実弾をしこたま鬻ぐ吉師の夏 半可ξ

吉師: 古代氏族の姓の一つでもあった。大和政権において外交、通訳、記録などを職務とした渡米人に対する敬称として使われたようである。ここでは、外交外交と口先ばかりの外交を得意とする、岸田何某のことをいう。

8月31日

今日も子規の句

盆の月 という文字ことばが入る 7句

虚無僧の深あみ笠や盆の月 明治25
盆の月團子の數も見えてけり 明治26
盆の月亡者の帰る鉦の音 明治26
盆の月亡者の帰る軒端哉 明治26
禰宜殿や門を出づれば盆の月 明治28
盆の月佛くさくもなかりけり 明治29
稻妻や南に晴れし盆の月 明治32

旧暦七月十五日の月を「盆の月」と言います。

すなはち今夜の月がそれ。

盆の月ジャズ響かせて、とりあえず 半可ξ

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