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病中吟
旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
(たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる)
さてさて、
過日
ワンデーパス買うてお江戸かけ巡る 半可ξ
(ワンデーパス こうておえどを かけめぐる)
雨も降っていたし、多少二日酔いでもあったので、どこかでさっぱり蕎麦でも食せんと10時前に宿を出る。
今回は、多くの外国人観光客の方々がお使いのワンデーパスを、余も使ってみたくなり、全都営交通一日乗り放題700円を購入。ちなみにバスだけだと500円。
昔都民でありながら、都営交通機関の”ほとんど”が、旧江戸市内ということに今更気がついて驚いた。
都営交通だけで深大寺へは行けないのだ。(ただし、都にお住まいのお年寄り用のシルバーパスは、民営バスも使えるから、いけます。)
それはそれで、
渋谷から新橋に向かう途中、中之橋の景観が10数年前と比べて、あまりにも変わっていたので急遽途中下車。
綱坂の方は、さほど変わりはなかった。
結局、お昼は、馴染みのある築地へ。
魚竹で鰤腹と鮪刺身の盛り合わせをゆっく楽しんだ。
相変わらずここのお昼はうまい。
さてさてさて、
来年の五輪では、せっかく準備した五輪マラソンコースを虚しさばかりが駆け巡るようだ。
気の毒だが、変更を強要されても、合理的に抗えない弱みの方が大きくては、致し方ない。
代わりに、札幌でTOKYO五輪のマラソンをやるそうだが、準備不足やホテル不足、人手不足や教育不足や暑さ対策不足等々でひどいことになりそうな予感がする。
それにつけても、
今や、社会全般に流行っている、やれるやれると言っていて突然やれないでございます病には困ったものだ。
大学入試の英語民間試験も然り、国務大臣の適材適所も、デフレ脱却も、年金安泰も、景気回復も、領土返還も全部やれるやれると言うもやれない病。
どうにかなりませんかね。
今年は、 国が病んで夢は枯野をかけ廻る そんな一年で終わりそうな気がする。
元禄四年九月三十日か十月朔日。
奥の細道を終えて、東下の途中、この夏門弟になったばかりの彦根平田の浄土宗光明遍照寺の住職で門人の李由(河野通賢)を訪ねてのご挨拶句。
さてさて、
来年の八月。
TOKYOオリンピックのマラソンランナーは、カンカン照りの長い新川沿いの直線コースで疲労困憊し、濃い緑の中にたどり着く。
まさにランナーはここ北大構内をオアシスだと思うことは間違いない。
オアシスを走り抜けるとゴールは近い。
クラークさんで有名な札幌農学校が、1918年に北海道大学と名前を変えて今年は百一年目。
今時分は、ここの紅葉した銀杏並木は海外からの旅行者の大人気スポット。朝から晩まで見物客が絶えない。
百歳の並木は錦の成る木哉 半可ξ
(ももとせの なみきはきんの なるきかな)
ローカル都市の外貨稼ぎにとても貢献してくれています。
叡慮にて賑わふ民の庭竈 芭蕉
(えいりょにて にぎわうたみの にわかまど)
元禄元年。年号は貞亨から元禄に。
芭蕉庵に尾張の越人を迎え、其角・嵐雪・挙白等との句会での句。
さてさて、
先日の東京行での帰る日、恒例の正倉院御物の出張曝涼でも覗いてみようかと、東博に行ったものの、1時間半待ちだと聞き取りやめ、芸大の学食で余の定番上野ランチの鯵フライ定食を食べただけで上野の山を後にした。
途中、ゴッホ展もそこそこの行列で、外壁の大看板ポスターをしっかり拝見してスルー。
余の足を止めたのは、正岡子規記念野球場のグランド整備員の適当といえば適当なライン引きの適当さ。
レフト側のラインはピシリ!
こんなところまで、右の世界の歪みが見えた。
冗談ですよ!
不況にて賑わう民の庭竃 半可ξ
(ふきょうにて にぎわうたみの にわかまど)
心なしか、東博の前の森には、春に比べてホームレス軍団が増えていたように思う。
オリンピック開催時にはみんな消されてしまうのだろうな。
雪散るや穂屋の薄の刈り残し 芭蕉
(ゆきちるや ほやのすすきの かりのこし)
元禄三年猿蓑の編集会議で、作句の例として、フィクションや故事の引用の句だっていいんだぜと言って作った句。
つまりこの句は、信州諏訪の伝統行事御射山祭を芭蕉さんなりにイメージして詠んだ句と言うことだわな。
御射山の神事はススキの穂で屋根を葺いた家を建てて行うとか。
鎌倉時代の玉葉和歌集・雑一に
尾花ふく穂屋のめぐりのひとむらに
しばしさとある秋のみさ山
薄で屋根を拭いた穂屋がある周りに集まったひとかたまりの人々の中から一時歓声が上がったよ。御射山神社の秋祭りさ。
当時はなかなかの人気のお祭りであったらしいぞ。
芭蕉さんはそんな賑やかな祭りの終わっちゃった後の寂しさをギュッと読んだんだわな。
さてさて、
今日の豊平川では河川敷の手入れを急いでいた。
上の段は雪捨て場の整備で、積み上げた雪が溶けて、堤防に浸透しないようにビニールシートを敷いている。
下の段の河原付近ではチェーンソーで川柳を切っている。これは、春の増水時に流木となって下流を荒らさないための対策。
多分明日はここ真っ白。
豊平川を渡るに
雪散るや河の柳の切り残し 半可ξ
(ゆきちるや かわのやなぎの きりのこし)
やはり、故事が関わらないとなんじゃこれだわな。
雪の朝独り干鮭を噛み得タリ 芭蕉
(ゆきのあさ ひとりひじゃけを かみえたり)
天和元年。深川芭蕉庵にて。
さて、肌肉(きにく)ってなんだ?
ズバリジヴィエ、獣肉料理だ。
江戸時代のお肉料理レシピとして、寛永二十年(1643年ごろ)刊の『料理物語』、伊達家料理人であった橘川常房による『料理集』、そして延享三年(1748年ごろ) 成立の、江戸川散人狐松庵養五郎による『黒白精味集』などがある。
鹿汁 かひやき いりやき ほしてよし
狸汁 でんがく山椒みそ
猪汁 でんがく くはし
兎汁 いりやき
川うそ かひやき すい物
熊 すい物 でんがく
いぬ すい物 かひやき
牛も豚もあったらしいが、金持ちが、穢れを意識して食すくらいだから、庶民には、そんなにメジャーなものではなかったようだ。
江戸期の川柳もある
雪の日にしちりんで咲く冬牡丹
芭蕉が羨んだのはこのへんの肌肉だろう。
さてさて、
初雪が降った。
荒れ方が思ったほどではなかったので、図書館に出かけ、昼はビーフインパクトの1000円ランチステーキ200gを食してきた。
雪の昼アンガスビーフ噛み得タリ 半可ξ
(ゆきのひる アンガスビーフ かみえたり)
秋の色糠味噌壷もなかりけり 芭蕉
(あきのいろ ぬかみそつぼも なかりけり)
元禄四年。膳所義仲寺で、弟子が持ってきた絵に何か一つとの求めに応じてサラサラとしたためた句。
ネタは、
吉田兼好徒然草第九十八段
「尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言放談とかや名付けたる草子を見侍りしに、心にあひて覚えしことども」と、
幾つかある中に、
「一 後世を思はん者は、糂汰瓶一つも持つまじきことなり。持経、本尊に至るまで、良き物を持つ、由し無きことなり。」とある。
で、
つまり、あの世にまで細々お宝を持ち込む心配は無用!だって仏様たち皆さん良いものを沢山持っているのは、あの世に行ったあんたらを救ってくれるためなんだから!
だから、貧乏なんか心配すんな。
現代の我々は、みんながノーテンキ他力本願という日本人気質の伝統の歴史を、ここに垣間見ております。
さてさて、
秋の色と言えば余は「上朱」。
よく熟れた柿の色。
今年は九度山の富有柿をたんと頂いた。
秋の色貧乏庵は富有哉 半可ξ
(あきのいろ びんぼうあんは ふゆうかな)
例年、来年も忘れさせないために、電話じゃなくて絵手紙でお礼を出す。