囂kamabisuan庵

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6月1日

早く咲け九日も近し菊の花 芭蕉
(はやくさけ くにちもちかし きくのはな)

元禄二年九月四日。 『奥の細道』旅の途中、大垣藩士の浅井左柳亭で開いた連句の発句であるそうな。

なんの取り柄も無い駄句である。

芭蕉せんせこの句会に気乗りがしなかったのだろう。

なんでだろう?

答は簡単。我が儘な理由だ。

この大垣のお侍石部金吉は真面目一直線な無粋もの。
一方芭蕉せんせは老いたとはいえ遊び人。そんな賢ぐるしい挨拶やお世辞話はいいから「早くお酒をちょうだいな。早く!酒!酒!」という発句でござる。

これ、ほんとの嘘。

早く咲け夏至の日近し浜茄子の花 半可ξ
(はやくさけ げしのひちかし はまなすのはな)


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まーだだよとハマナス。

このところ暑い日があれば寒い日もある。

北国の夏は出入りが激しい。

6月12日

花にいやよ世間口より風の口 宗房(若い時の芭蕉)
(はなにいやよ せけんぐちより かぜのくち)

寛文年間の作。と。

伊賀上野から江戸移住初期の作だが作句年詳細不明。と。

流行歌「一人寝はいやよ、あかつきの別れありとも」というのがあり、こいつをもじったものだそうだ。

なんとも言いようがないほど情けない俳聖芭蕉の二葉時代だ。

今日は、初夏だというのに北風が強く。寒く。辛い。


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ちゃりんこにゃ ほんとにいやよ 向かい風 半可ξ
(ちゃりんこにゃ ほんとにいやよ むかいかぜ)

なんとも言いようがないほど情けない半可ξの川柳だ。

6月12日

己が火を木々に蛍や花の宿 芭蕉
(おのがひを きぎにほたるや はなのやど)

近江の石山あたりで詠んだといわれている。

大坂の門人車庸(潮江長兵衛)が選んだ句集「己が光」のいっとう最初に載っている句である。

蛍が群れて木に花が咲いているようにスゲーと言っておられるのだろう。

それほどスゲー句でもないのだが、名人の手というお墨付きは、何時の時代でも忖度され残される。

ところで、 余が大好きな徳川慶喜さんが公爵を授爵されたのは、明治三十五年六月三日のことである。

「微笑む慶喜」の著者戸張裕子さんのお調べでは、芝公園の超一流料亭「紅葉館」で、明治三十五年六月二十二日と二十三日に盛大なお祝い会があったそうだ。

その際ご一同紅葉館の築山の植え込みのあたりでお写真。
季節がらその日の夕刻にはここにも蛍が乱舞していたことでしょう。
撮影は小川一真だそうだ。


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己が身を木々に蛍や花の宿 半可ξ
(おのがみを きぎにほたるや はなのやど)

ちなみに、写真撮影の場所に東京タワーが建ち、平成の今も、夜になるとキラキラと輝いてくれています。

余のHP

6月13日

古里、兄が園中に三草の種を取りて

春雨や二葉に萌ゆる茄子種 芭蕉
(はるさめや ふたばにもゆる なすびだね)

元禄三年二月。伊賀上野で。と。

前詞の兄ちゃんは、松尾半左衛門っうてぺーぺーの侍兼百姓。

さて、市内にある私立の農業高専の畑にトウモロコシ。

トウモロコシと言っても人様用ではなく家畜さま用のデートコン。

まだまだ二葉みたいなもんだ。

夏の日や二葉に萌ゆるデートコン 半可ξ
(なつのひや ふたばにもゆる でーとこん)

トウモロコシ畑の向こうに木下サーカスの大テント。


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6月15日

住みける人外に隠れて、葎生ひ繁る古跡を訪ひて

瓜作る君があれなと夕涼み 芭蕉
(うりつくる きみがあれなと ゆうすずみ)

貞亨四年夏。と。

敬愛する西行の
『松が根の 岩田の岸の 夕涼み 君があれなと 思ほゆるかな(山家集)』のパロディーネタの句なり。

「戴きーぃ」がおもしろみの狙い。
まさに「談林風」。この時分の流行。
いうてみればしゃべくり漫才みたいな乗りの言葉遊び。

これじゃいかんと後に、
趣きという味のある「蕉風」を極めていくずーっと前の作品なり。

縫ひ作る時があるある白夜かな 半可ξ
(ぬいつくる ときがあるある びゃくやかな)

半可ξは、前夜「端切れ皮」で三作目の筆記道具入れを縫った。

こんどはジッパーをL字に取り付けた。


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6月19日

野ざらし紀行:甲斐の山中に立ち寄りて、

行駒の麦に慰むやどり哉 芭蕉
(いくこまの むぎになぐさむ やどりかな)

心細く長々山中を旅するに、目の前にふと麦秋の光景が現れ、人の暮らしが見えてホッとする。

ああ、今夜は野宿でなくてよかった。ってところでしょうか。

余もチャリンコで郊外の田園を走っていて、おや?

こんな所に妙な名の蕎麦屋があるぞ。

屋号は「サラセン人の麦」。

それは「蕎麦」のことだそうだ。

丁度いい。めしにしよう。

行くチャリの麦に慰むひるげ哉 半可ξ
(いくちゃりの むぎになぐさむ ひるげかな)


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6月20日

道ほそし相撲取り草の花の露 芭蕉
(みちほそし すもうとりぐさの はなのつゆ)

義仲寺の無名庵への道。

人々があまり訪れないのか、草花が道を細くしている。

なんかキレイで、儚くて、ミレーの絵のようです。

すもうとりぐさはスミレだそうです。

さて、途絶えていくもの・・北海道の鉄道。
残念だが、道民は金がないから打つ手がない。

道細し歳ごと枝折る野わけかな 半可ξ
(みちほそし としごとえだおる のわけかな)

さて、昔の思い出というわけでは無いが・・


毘沙門という手打ち蕎麦屋に、十割並粉と更科二色もりを食べた帰り、近くの農試公園でD51の静態保存を見かけ、もしかするととひとつの思いが脳裏を走った。


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余は40数年前に追分機関区でD51を撮影している。 世の中にD51は腐るほどあることは承知しておるが、もしやと思いプレートの D51 11 を記憶して家に戻った。


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ざんねん。 余が仕事のパートナーは D51 118 であった。


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ところが、念のため D51 118 を検索して見て驚いた。 あった。あった。小手指に静態保存されていた。

機会があったら見て見たいものだ。


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ちなみに40数年前写真の左端ロン毛で長袖Tシャツパンタロンのジーパン野郎が現在75㎏のデブ爺のビフォアーである。

6月22日

松杉をほめてや風のかをる音 芭蕉
(まつすぎを ほめてやかぜの かおるおと)

元禄七年夏。京都嵯峨の落柿舎滞在中の作。と。

藤原定家の歌(拾遺愚草)

頼むかな その名も知らぬ 深山木(みやまぎ)に 知る人得たる 松と杉とを

を引いて作った句。と。

定家より芭蕉さんの方が、気分がいいざんすな。

風が薫る。
そして風音の心地よさ。
涼を呼びまするな。

先にもご披露したかも知れない300円のUSB扇風機。


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余は夏場のハードディスクのクーラーとして使っているのだが、風切り音はともかく振動音が我慢ならなかったので、今年はバラバラにしてハードディスクの収納boxに直付けした。

見た目も奇妙で面白く、振動音は無くなった。

風切り音は相変わらずだが、許す。

先ずほめて残り風切る羽根の音 半可ξ
(まずほめて のこりかぜきる はねのおと)

さあ真夏さま。いつでもお出でなさいませ。

6月25日

あらたふと木の下闇も日の光 芭蕉
(あらとうと このしたやみも ひのひかり)

ご存知奥の細道の日光

あらとふと青葉若葉の日の光 芭蕉
(あらとうと あおばわかばの ひのひかり)

に変更される前の句である。

もちろん日光を参拝しての句であるが、なにゆえ句が変更になったのか、そのへんの不思議さを推察してみた。

芭蕉くんも元禄二年といえばちゃんと大人。ちょっと生活も良くなって来た?

でもなにがしの理由から、幕府によいしょ。

いわば初作は、度がつくほどの忖度句なのだ。

つまり、
ああ尊い。豊臣(木下)の闇から権現さまは、我らを救って下さった太陽さまだ。これが

  あらたふと木の下闇も日の光

でもさ、ちょっとこれは、忖度やり過ぎたかと思い

ああ尊い。葵のご紋のご威光が明るく頼もしい。

  あらとふと青葉若葉の日の光

と変更したわけだわさ。

ほんとかいな?

嘘ですねん。

でもさ、見た目、読んだ目で解釈して、日光で木漏れ日にありがたがってる芭蕉っうのも・・能がなさ過ぎでしょ。

余の説ほんのちょっぴり本当みたいでしょ。

あらとふと岩盤砕く普の光 半可ξ
(あらとうと がんばんくだく ふのひかり)

負の光りは情けないです。


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6月27日

水無月や鯛はあれども塩鯨 芭蕉
(みなづきや たいはあれども しおくじら)

元禄五年六月。と。

旧暦だから西暦で7月から8月の暑いときだ。

これは、いつものひねくれ瘦せ我慢の芭蕉くんの句として、読み取るべきであろう。

おいら、鯛よりは、糞暑い真夏にはさっぱりとした塩鯨がいいね。と相変わらず貧乏くささを売りにしている。

もちろん、鯛は高級魚。

塩鯨は大衆のいや貧乏人の常菜。

さてさて、昨日藤井聡太四段増田康宏四段に快勝。

29連勝の日本新記録達成。

藤井さんは塩鯨ではなく、ぜひ鯛を召し上がって下さい。
賞金も入ったことだし。

目出度い目出度いで行きましょう。

久しぶりに明るいニュースでホッとします。
ありがとうございます。

新記録鯛のお頭呼び出され 半可ξ
(しんきろく たいのおかしら よびだされ)

景気良くいこう!


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6月28日

元禄元年戊辰六月五日
西暦1688年7月2日金曜日

鼓子花の短夜眠る昼間哉 芭蕉
(ひるがおの みじかよねぶる ひるまかな)

大津奇香亭で開催した十吟歌仙の発句。だと。

鼓子花(ヒルガオ)は日中咲いている。
咲いてはいるが寝不足みたいで、ぼーっと咲いている。
おいらも、この家に来てヒルガオのようにぼーっとさせてもらっとる。
Danke! それにしても、あじーぃ。

ってところだ。

脇 せめて涼しき蔦の青壁 亭主の奇香
 (せめてすずしき つたのあおかべ)

当地本日はそれほどあじくはないが、日射はやる気十分。

こんな日は蕎麦がいい。

摩周産キタワセ十割粉の細切り。
つゆは辛め。
甘エビのかき上げ。
やっぱいいです。
いけますよ。

こんどまた新蕎麦の頃に忘れずに来よう。

年寄りの短夜眠る昼間哉 半可ξ
(としよりの みじかよねぶる ひるまかな)

せめて涼しき喉越の蕎麦 半可ξ
(せめてすずしき のどこしのそば)

ところで、元禄元年も「戊辰」なんだ。関係ないけど。


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6月29日

朝な朝な手習ひすすむきりぎりす 芭蕉
(あさなあさな てならいすすむ きりぎりす)

40才代の作だと。

じつに嫌みたらしい。
勤勉思想は芭蕉のとっつあんの性格には合わない。

きっとこれは、できの悪いあるいは筋の良くない弟子への当て擦りのご挨拶句であると意地悪く余はおもう。

おら!おら!きりぎりすだって朝はようから唱の練習にはげんでおるわい。

それにしてもおぬしときたら、夜な夜な・・ああ後は言うまい。

大宗匠のお小言を戴いたのは何を隠そう おいらだぜ。

でも、宗匠さま、下手な手習いでもちょいちょいとそれなりに楽しいものだす。

ちょいなちょい手習いすすむ半夏生 半可ξ
(ちょいなちょい てならいすすむ はんげしょう)

農家の方ならこの時期あたりで今年の稲の実り具合の占いをするのだそうだ。

余の場合何を占おうかね。目標なんてねえから困るぜ。

そうだなあと2枚ぐらいはスケッチしよう。

因みに手習いの図は100ウン10年前の札幌農学校のモデルバーンだす。


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2017/11/27追加

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6月30日

世の夏や湖水に浮む浪の上 芭蕉
(よのなつや こすいにうかむ なみのうえ)

元禄元年夏、『笈の小文』の旅の帰路、大津の井狩昨卜(さくぼく)亭に招かれての挨拶吟。と。

世は真夏の暑さにうだっているというのに、このお屋敷は湖上の波に浮かんでいるかのように涼しいですね。と。

余は、そんな喩えじゃなくリアルに湖上の涼を体験したことがある。

本日当地は、久々30度近い暑さにつき涼を求めて発句。

余の夏や湖水に浮む浪の上 半可ξ
(よのなつや こすいにうかむ なみのうえ)

余が座しているのは朱鞠内湖の直系1メートルほどの埋没樹の切り株である。

水面下ぎりぎりのものもあり、もっと神秘的なアングルを求める命知らずのお方にはお勧めだ。

北海道の湖の多くは水温が低いこともあり生物の生存環境としては辛い方。

腐敗のスピードは圧倒的にのろく、戦前に切られた切り株もおニューそのものだったような記憶がある。


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この写真は今から30数年以上前のものだが、たぶん、いまでも大丈夫でないかいな。

ただし時代の違いで、いい大人がバカをするのが憚られる昨今につき、マネをするのはお勧めできないとおとなの発言をしておく。

囂kamabisuan庵