囂kamabisuan庵

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1月3日

於春々大哉春と云々 芭蕉
(ああはるはる おおいなるかな はるとうんぬん)


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1月4日

あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁 芭蕉
(あらなにともなや きのうはすぎて ふぐとじる)

河豚汁は「ふぐとじる」と読む

あら俳聖も大いにびびる寒の入 半可 ξ(はんかくさい)
(あらはいせいも おおいにびびる かんのいり)


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1月5日

春立つや新年ふるき米五升 芭蕉
(はるたつや しんねんふるき こめごしょう)

我富めり新年古き米五升 芭蕉
(われとめり しんねんふるき こめごしょう)

似合はしや新年古き米五升 芭蕉
(につかわしや しんねんふるき こめごしょう)

春立つや新年安き牛の肉 半可ξ
(はるたつや しんねんやすき うしのにく)


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ちゃんと本歌取りらしくしよう
春立つや新年ふるいぎゅう二百 半可ξ
(はるたつや しんねんふるい ぎゅうにひゃく)

我留めり新年奮いぎゅう二百 半可ξ
(われとめり しんねんふるい ぎゅうにひゃく)

似合はしや新年ふるいぎゅう二百 半可ξ
(につかわしや しんねんふるい ぎゅうにひゃく)

1月6日

月花の愚に針立てん寒の入り 芭蕉
(つきはなの ぐにはりたてん かんのいり)

冬至から十五日目が小寒(しょうかん)で、今年は昨日五日がその日。つまり本日は寒の入二日目。
月花の愚とは、月だ花だと浮かれていた脳天気さ・・ということらしい。しかし「針を立てる」なんて表現は、当時一般で通用していた表現なんでしょうか、はたまた俳聖ご自慢のワードワークなんでしょうか。針鼠か針千本に聞いてみよう。
凡人は判りやすく

政治家の愚に針立てん寒の入 半可ξ
(せいじかの ぐにはりたてん かんのいり)

お寒いご時世ですもの。


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1月7日

蒟蒻に今日は売り勝つ若菜哉 芭蕉
(こんにゃくに きょうはうりかつ わかなかな)
蛤に今日は売り勝つ若菜かな 芭蕉
(はまぐりに きょうはうりかつ わかなかな)

七草粥は七日の朝の行事と知りつつも、近ごろは夕方に食する。 粥が似合うのは、離乳食の幼児と病人と老人ということか。
とはいえ余は林檎を三時に丸かじりする程の健歯老人。 夕方の粥も、消化が良さそうでまたいい物ですぞ。
ところで、売り負けるのが、なにゆえ「コンニャク」「はまぐり」なんだろう。あるひとは、蒟蒻蛤は俳聖の好物だと言っている。

ビフテキに今日は売り勝つ若菜かな 半可ξ
(びふてきに きょうはうりかつ わかなかな)

1月8日

我がためか鶴食み残す芹の飯 芭蕉
(わがためか つるはみのこす せりのめし)

突然ながら徳川慶喜は朝敵の汚名を晴らし静岡から移り住んだ巣鴨の屋敷で鶴を飼っていた。
写真は巣鴨の慶喜邸(明治三十年〜三十四年)の鶴UP。

吾がためか慶喜残せり鶴写真 半可ξ
(わがためか けいきのこせり つるしゃしん)


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1月9日

顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭蕉
(かおににぬ ほっくもいでよ はつざくら)

この顔って、どんな顔?
間抜け顔?
しょぼくれ顔?
不細工顔?
おっかない顔?
ジジイ顔?
パット見もじっくりもいかさない顔であることは確かだ。

顔に似ぬ科白も出でよ新成人 半可ξ
(かおににぬ せりふもいでよ しんせいじん)

1月10日

もののふの大根苦き話哉 芭蕉
(もののふの だいこんにがき はなしかな)

連句会の前に、玄虎(藤堂藩の大身)の政治情勢分析やら藩の状況やらいろいろ聞いてのあとの発句と言う。
頃は元禄六年冬である。
つまり、柳沢吉保が綱吉の信任度合いを異常なほど急激に厚くしている時である。
この句会の直後、吉保は、三万石から倍増以上に加増され、石七万二千石武蔵国川越藩主となる。
苦き話とは、そんな「もののふストーブリーグ」の生々しい話だったのだ。
俳聖は間違いなく、柳沢体制の「やりすぎ」をチクリとやっているわけである。
句の背景を知れば、現代に通じる親近感をこの句に感ずるのは余だけではないのではないだろうか。

今日は下世話に
黒塀のふぐちりこわき話哉 半可ξ
(くろべいの ふぐちりこわき はなしかな)

1月11日

夜着は重し呉天に雪を見るあらん 芭蕉
(やぎはおもし ごてんにゆきを みるあらん)

俳聖三十九歳の作である。
これは禅の言葉「笠重呉天雪 鞋香楚地花」のパロディーだという。茶席の軸にも揮毫されるという。
この詩は托鉢僧の心意気とでもやせ我慢とでも言っておこう。

さて、いまからバスクリンの湯に浸ろう。
湯は香ばし楚地に花を見るあらん 半可ξ
(ゆはこうばし そちにはなを みるあらん)


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1月12日

門松やおもへば一夜三十年 芭蕉
(かどまつや おもへばいちや さんじゅうねん)
幾霜に心ばせをの松飾り 芭蕉
(いくしもに こころばしょうの まつかざり)

三十年は、俳聖三十四歳の作。
あっというまの三十四。
幾霜は、四十代前半。
いろいろこころ使いの四十年。

やっぱあの時代の「新年」は、また一年と年を重ねられたことの悦びや感慨がメインなんだな。
それにつけても情けないのはオイラ、

門松やおもえば惰性七十年 半可ξ
(かどまつや おもえばだせい ななじゅうねん)

そうだ、どんど焼きは十五日だけど、あしたあたり雪がやんだら、はやめに正月飾りを持って行こう。


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1月13日

行く雲や犬の駆け尿村時雨 芭蕉
(ゆくくもや いぬのかけばり むらしぐれ)

時雨は冬の季語。
尿は「ばり」。

尿で有名なのはおくのほそ道の

蚤虱馬が尿する枕もと 芭蕉
(のみしらみ うまが□□する まくらもと)

これは学校では「しと」と習ったが、子供の頃野道で見かけたお馬さんのしょんは「バリバリ」で、とても「しと」なんて語感ではないものであるゆえ、余は「バリ」派で参ります。

「バリ」と言えば、昔夕張市のCMジングルで ♪バリバリ夕張♪ とやったことを思い出した。・・あれがやべかったのかな? 

はやくしょんべん否ばりしてねよッと


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1月14日

餅花やかざしに插せる嫁が君 芭蕉
(もちばなや かざしにさせる よめがきみ)

餅花は「小正月」の飾りの繭玉。
嫁が君は新年の季語で鼠のこと。

おめでたい新年早々穀潰しの「ネズミ・ねずみ・鼠」と騒ぎ立てるのもなんだしと、「おやおや! 嫁の君が出ますから、こんなに食い散らかしたまんまはいけませんよ!」なんて大店の旦那が、奉公人を諭したりするときに使うかもしれない、一種の忌み言葉だってさ。

そういえば、今年は早くもヒヨドリが来て、越冬食用の例の赤いナナカマドの実をついばんでいました。もう春が来た。

赤き実やかざしに挿せる帰る鵯 半可ξ
(あかきみや かざしにさせる かえるひよ)
赤き実やかざしに挿せる春の鵯 半可ξ
(あかきみや かざしにさせる はるのひよ)


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注:かざしの意味
出典:デジタル大辞泉
上代、草木の花や枝などを髪に挿したこと。また、挿した花や枝。平安時代以後は、冠に挿すことにもいい、多く造花を用いた。幸いを願う呪術的行為が、のち飾りになったものという。→髻華 (うず) 
「秋萩は盛り過ぐるをいたづらにかざしに挿さず帰りなむとや」〈万・一五五九〉

注:角川の俳句歳時記では「鵯・ひよどり・ひよ」は秋の季語。それで帰る雁や春の鴨に倣ひ「かえるひよ」。

1月15日

いざ行む雪見にころぶ所まで 芭蕉

この数日日本列島は寒波におおわれて各地からの大雪の映像ニュースが届いてくる。慣れない方はたいへんですね。ご注意ください。

さて、余の冬靴は三年目で、ソールのサボタージュが少々気になりだした。つるつる歩道では滑るように歩を進めなくてはならない。

ところで、余と余の仲間はズーっと以前から、ボウリングを毎月一回必ずすることを続けている。余が仲間と離れた地でひとりゴロゴロパァアーンを始めてもう十二年目だ。下手なのによく続くと我ながら思う。あしたはその日だ。

いざ行むテンピンころぶ所まで 半可ξ
(いざゆかん てんぴんころぶ ところまで)

明日のイメージ:写真は去年の4月の勇姿。めずらしくガラガラだったのでショットしたものです。


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1月16日

瓶割るる夜の氷の寝覚め哉 芭蕉 
(かめわるるよるのこおりのめざめかな)

昨日サマーズのなにを見ていたら、金沢八景の科学勉強塾の金沢八景でんじろう先生が、液体窒素に触って見せたりしていた。−196℃の強者でも2秒以内なら何ともないとはビックリ。

更に、空気で膨らませた風船を−196℃に漬け込んだら、大々ビックリ。完全にペチャンコになっちまった。ところがそいつを取り出すと、何事もなかったようにとポコポコ元通りに復活しました。

つまり空気は極極超低温では、完全に押しつぶされてしまうのだろうか?

するっうと、大気圧もなく気温-270℃とされている宇宙空間に、空気で膨らませた風船を置いたらどうなる?

もしかしたら、宇宙空間には空気が無いのではなく、その存在が-270℃によって限りなく「無」の状態に圧縮されているだけなのでは・・と想像したりして・・

いやあ・・じつに「もやもや半可ξ」であります。

瓶の古酒夜の氷の目覚め哉 半可ξ
(かめのこしゅ よるのこおりの めざめかな)


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1月17日

廿日餘の月かすかに見えて、山の根際いとくらきに、馬上に鞭をたれて、数里いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に至りて忽驚く。

馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり 芭蕉
(うまにねて ざんむつきとおし ちゃのけぶり)

季節は今と反対だが、ちょうど今日明日の月を小夜の中山あたりで芭蕉は観ている。

芭蕉がモチーフに用いた詩は

早行詩
垂鞭信馬行(むちをたれて うまにまかせてゆく)
数里未鶏鳴(すうり いまだけいめいならず)
林下帯残夢(りんか ざんむをおび)
葉飛時忽驚(はとんで ときにたちまちおどろく)
霜凝孤鶴迴(しもこって こかくはるかに)
月暁遠山横(つきあかつきにして えんざんよこたわる)
僮僕休辞険(どうぼく けんをじするをやめよ)
何時世時平(いつのときか せいじたいらかならん)

季節は芭蕉の馬上より「厳しい」初冬から冬の頃だ。

杜牧は荒廃した世の中の安定を願っているが、一方の芭蕉君は、反対に世の中の安定を喜んでいる。

これはいったい、芭蕉の徳川ご政道に対する皮肉なのか、さてまた、CNNの立場の杜牧に対して、芭蕉君は現今の日本のマスコミと同じであるのかとか妄想するのは面白い。

余の場合はなんの社会性もない完全ノンポリで

床に寝て残夢月遠し朝餉のけぶり 半可ξ
(とこにねて ざんむつきとおし あさげのけぶり)


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1月18日

どんみりと樗や雨の花曇り 芭蕉
(どんみりと あうちやあめの はなぐもり)

どんみり( 副 )
①色がにごっているさま。どみ。
「黒う-としてうまさうな物ぢや/狂言・附子 虎寛本」
②空のくもっているさま。どんより。
「うす曇る日は-と霜折れて(乙州)/ひさご」

今日の句はもちろん夏の句だが、
どんみりってことで、余も使ってみたくなって戯れる。

本日は
朝から春を感ずる鈍い冷えだ。
積雪の色もどんみりとした鈍い白。
空もどんみりとして雲野郎の顔色もどんみりとやる気がない。
足もとの雪氷はやさぐれてザクザクと靴を噛む。
どんみりどんみりどんみりと冬に春が混じって・・春が来る。
ホントに今日は寒くなかった。

どんみりと松やつららのはなをたれ 半可ξ
(どんみりと まつやつららの はなをたれ)


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1月19日

塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店 芭蕉
(しおだいの はぐきもさむし うおのたな)

芭蕉の秀句と言われている。
其角の「声枯れて猿の歯白し峯の月」に刺激されて作ったとか。

歯をむき出した凄味のある野生の表情がテーマってことなんでしょうか。

さあいよいよ明日だね。

頭領の歯ぐきも寒し憂さの邦 半可ξ
(とうりょうの はぐきもさむし うさのくに)


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1月20日

山中に子供と遊ぶ

初雪に兎の皮の髭作れ 芭蕉
(はつゆきに うさぎのかわの ひげつくれ)

山中とは伊賀上野のことだそうだ。
句の解釈に理屈が通用しないと古来から言われている「迷句」だそうだ。兎に角雰囲気でなんとなく鑑賞するでよいらしい。

さてさて、関東も久しぶりに雪に見舞われそうで、難儀なことでございます。

まあひとつ、明朝機会に恵まれた御仁は、俳聖に倣って童心にかえるのもまた一興かと存じます。

初雪に鶏の軀の貌作れ 半可ξ
(はつゆきに とりのからだの かをつくれ)


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1月25日

於春々大哉春と云々 芭蕉
(ああはるはる おおいなるかな はるとうんぬん)

年頭に掲載した句であるが、タイミングで再掲。
もちろん読み方ですが

ああ春春 大いなるかな 春とでんでん

では有りませんので、念のためです。

因みに 俳聖は、春じゃイ春じゃイ。どーんと目出度い、春だってばサぁてョ! と戯けて春の賀をサービスしており、「云々」は俺だけじゃなくみんな言ってるつうニアンスに仕立ててるんだと。

於でんでん 大哉でんと云々 半可ξ
(ああでんでん おおいなるかな でんとうんぬん)


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1月26日

住みつかぬ旅の心や置炬燵 芭蕉
(すみつかぬ たびのこころや おきごたつ)

元禄三年京都の師走時の作句。
江戸に居る其角から

寝ごゝろや火燵蒲團のさめぬ内 其角

という句が送られて来て、それに応えての句という。

本日は道立近代美術館の「片岡球子」という名の展覧会を観てきた。たいへん多くのスケッチが展示されており、これがとても素晴らしかった。

作品では、小学校教諭時代の下宿先のおばさんと娘を描いた「炬燵」が実にいかった。

ものたりぬ北の暮らしの火燵なし 半可ξ
(ものたりぬ きたのくらしの こたつなし)

在所Sapporoあたりはでかいストーブが常識で火燵は・・・


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1月27日

昨日からちょつちょと秋も時雨かな 芭蕉
(きのうから ちょっちょと あきもしぐれかな)

元禄七年九月ごろ大坂での作と。

「ちょつちょと秋も」がいいですね。ほんのちょっとだけ秋ぽくってことだろうが、喋り言葉や季語のダブりも気にしない。

侘びだ寂だもいいけれど、こんなお気楽な日常雑感ストレートも他にもいっぱいあるから面白い。

ところで今日は朝から雨がザーザーのSapporoです。最高気温もプラス。4・5日前はマイナス20℃。

昨日からちょつちょと春も雪解雨 半可ξ
(きのうから ちょっちょとはるも ゆきげあめ)


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1月28日

甲比丹もつくばはせけり君が春 芭蕉
(かぴたんも つくばはせけり きみがはる)

延宝六年、芭蕉三十五歳の時の作。
甲比丹は長崎出島のオランダ商館長のこと。
この年の春にも彼らの将軍拝謁の儀があったそうです。

どんな時代でも日本人の外国コンプレックスは有ったようですな。
つくばはせけり位で有頂天もご愛敬か。
胸張って行こう!

日ノ国もつくばはせけり君が春 半可ξ
(ひのくにも つくばはせけり きみがはる)

言わせておこう。

1月30日

ともかくもならでや雪の枯尾花 芭蕉
(ともかくも ならでやゆきの かれおばな)

積極的に生を得ているのではなく、「結果、死にもしないで生きてきよった。」つうことです。
逆に俳聖は、遊んでばかりで生きている人生をあゆむ贅沢感を美化している。言ってみればずるい。
ともかく現実は余裕と仰っているのでしょうか。

半可ξも余裕です。

今日で今年一年ちょうど「消費税」分の8%が過ぎました。
極端に言えば、このひと月の収入は年金生活老人の消費税分です。

これからが実入りです。で余裕です。

現役サラリーマン諸氏はこれから春が終わる頃までの数ヶ月間、「ボーナス分の消費税や所得税と固定資産税などの税」の支払いための労役が待っています。ご苦労様でございます。

ともかくもならでや老は春を待ち 半可ξ
(ともかくも ならでやおひは はるをまち)


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1月31日

小野炭や手習ふ人の灰ぜせり 芭蕉
(おのずみや てならうひとの はいぜせり)

延宝八年、芭蕉三十七歳の作。
「小野炭」は、山城の小野産の上質炭で珍重されたそうだ。
小野炭。小野墨。小野道風ともじって、火鉢の中の白灰に文字など書いたりして、上等なもの使うと何気ない所作も、上等じゃんと洒落とるわけだそうだ。「せせる・挵る」は、いじったりつっいたりすることや。

余が未就学の頃は暖房は火燵と火鉢だったが、高度成長とともにすっかりそれらは消えてしまった。
小野道風の書も見たことはない。

道風や花するひとの札せせり 半可ξ
(みちかぜや はなするひとの ふだせせり)


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1月31日

今朝の雪根深を園の枝折哉 芭蕉
(けさのゆき ねぶかをそのの しおりかな)

昨日の晩は寒いと思ったらやっぱの大雪。あたり一面銀世界。ネギがぴよんと頭を出した処が菜園ってわかるぞえ。

さて、俳聖は残念ながら目撃できなかった事件が、西暦1703年の1月30日の深夜から31日の未明に起きた。ご存知赤穂浪士の討ち入りである。


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江戸時代の一日は朝日から朝日であるので、元禄十五年十二月十四日は、西暦1703年1月30日日の出ごろから31日の日の出ごろとなる。したがって事件のピーク時は西暦で言えば1月31日の未明となる。

もし、芭蕉が生きていて深川に住んでいたとしたらどんな句を作ったもんだろう。

今朝の雪赤穂の塩の仕業哉 半可ξ
(けさのゆき あこうのしおの しわざかな)

囂kamabisuan庵