谷口と角谷写真の角谷の椅子
左・谷口四郎兵衛と、右・角谷糺
角谷糺(ただす) 角ヶ谷とも称す。桑名藩士角谷文内の子として、弘化二年に江戸で生まれる。御馬廻役、御小姓役をつとめ、柏崎での桑名軍の編成で、御軍事方御小姓軍監退助勤となる。北越を転戦しながら、會津に入るが、九月中旬に仙台で入隊した。蝦夷渡航後は差図役下役をつとめ、明治二年四月ごろの編成で、改役となる。五月十一日からの弁天台場防戦中に負傷し、十五日に弁天台場で降伏した。弘前の薬王院に収容されたのち、東京送りとなって、十一月に芝の最勝院から旧藩に引き渡されて深川の霊厳寺に入り、桑名に送られて、明治三年一月に放免となる。http://www.bakusin.com/taishi12.htmlより 感謝
谷口四郎兵衛 たにぐち しろべえ しろうひょうえ とも
天保十一年十二月二十六日生
桑名藩士。谷口四郎兵衛守敬の子として桑名城下一色町に生まれる。
御大小姓役をつとめ、北越戦争では、桑名致人隊に所属して会津まで転戦、九月中旬に仙台で新撰組に入隊する。
蝦夷へ渡航後、十一月、十二月と松平定敬の命によって庄内で降伏した藩兵の主力を迎えに行くが果たせなかった。
明治二年四月ごろの編成では、差図役となる。五月十一日の箱館総攻撃では弁天台場防衛中に左肩を負傷し、十五日に弁天台場で降伏。
病院に送られ、芝の隆崇院で旧藩に渡され、明治三年一月に放免となる。
明治十年の西南戦争に新選旅団として参戦する。
最期 明治四十三年12月31日に東京赤坂で死亡。享年71歳。
http://www.ktplan.net/seiha/taisi-taniguti-siroubei.htmlより 感謝
新選組史料集 続に 谷口四郎兵衛日記 / 谷口/四郎兵衛‖著(タニグチ,シロベエ)