Top |
| テーマ 慶喜洋軍装写真の椅子と堀写真の椅子 |
|---|
|
慶喜洋軍装写真の椅子と堀写真の椅子 (shige) |
|
|
「日本写真史1840−1945」や小沢先生の本などにも 掲載されている添付の「武士一家」(幕末 湿板写真)の写真です。(石黒コレクション) これも堀与兵衛の寫場によく見られる市松模様の敷物が見られることから、保利(堀)与兵衛撮影と鑑定できます。 しかもこの写真はさらに椅子の形状がはっきり写っています。慶喜の洋装軍服写真の椅子と同じデザインです。 決定的ですね。 写真館の小道具として、こういう変わったデザインの椅子が慶応年間にどこにでもあったとはちょっと考えにくいですよね。 また、3枚の堀与兵衛の写真に写っている写真から、このデザインの椅子は明らかに堀与兵衛の写真館の小道具と考えられます。 となると、件の慶喜の写真もここで撮影されたと考えた方が自然ですよね。 後はこの仮説を補足するような文献資料が、何か見つかれば完璧です。 例えば、慶応何年何月何日に慶喜が祇園あたりで何かしてたとかですよね。 |
|
|
「政府軍参謀・山田顕義」(保利与兵衛撮影)の椅子の写真 (「サムライ古写真帖」のp124に掲載)や、渋谷平蔵の堀與兵衛写真の椅子は、慶喜の椅子や「武士一家」と同じものです。市松模様絨毯は「武士一家」と同じデザインのものです。 堀与兵衛の写真には、明治元年ころから、この椅子を使用した写真が多く見られます。当HPの「堀与兵衛市松模様柄写真集」で捜して見て下さい。(HP子) |
| 違うものとは言われても |
|---|
|
下の春嶽、戸田の2枚は、以前、shigeさんにデザインが似ているが、肘掛け部分が異なる、似て非なる椅子と教えていただいた。しかし、HP子は、和服の袖が肘掛けのカーブに巻き付いているのであって、これらは同じデザインの椅子であり、ただ前脚の下部がカットされていないものであると思う。(HP子) |
|
|
3枚目(明治十年松岡三彦)については敷物の柄が市松や春嶽写真のそれではないが同様のデザインの椅子(正確には最下部の丸みのふくらみが無いか小さい)。これも、前脚下部はカットされていない。この点は、春嶽、戸田写真の前脚と同じである。 HP子は、春嶽、戸田写真は、肘掛け部分が異なるタイプではなくこのような、脚の下部をカットしていない椅子を使用した撮影であったと思うのである。 慶喜や堀与兵衛で使用されている椅子の脚前部をカットしたのは、とりあえず日本人の脚の長さに合わせ、ぶらぶらさせないために処理した奇策(アイディア)だと思う。(HP子) |
|
kitu888tuki@yahoo.co.jp |