古写真集は、いつみても、何度見てもワクワクするが、やはりキャプションが気になり、ついつい毎回、裏取りをする。こんなことも、古写真の楽しみ方のひとつだと思っている。特別に苦痛でもないので、いつもへらへらぺらぺらと懲りない。
当然のことだが、キャプションには、「書き手の目の付け処」が書かれているわけで、キャプションなんて、読者にとっては中途半端なものなのである。それはそれでいいのだが、あきらかな間違いは困る。
なんせ、余は信じやすい人なので、そんなことがあると、どれだけ数多く間違った情報をインプットされてきたかも、どれだけ数多く正しい情報をインプットされてきたかも、解らなくなってしまうからだ。
でも、大丈夫。余は人並み外れて記憶力が弱いから大丈夫。清濁併せ呑まないで、清濁併せ忘るという、低レベルなおっちゃんなわけでド安心を。
これらの「大阪城京橋口」写真のキャプションをご覧あれ。これらはともに、間違いでも何でもない。
ただ、余には、どちらもいまいちフォーカスが合っていないなと感じてしまったものだ。
まさにこんなことに、余のお楽しみの始まりがあるのだと、感謝しつつ、一枚一枚ページをめくるカタチがあるのだ。
結果、こんなチャートがバンバン増えていくハメになる。 Danke! Danke! Danke! 古写真集さま。
たとえば、