「長崎著御 十四日 拂暁二神島の南方に至りたまふ、波浪愈々高く、江島・大立島の間潮勢急なること箭の如し、福田沖に於て艦列を整へ、牛後四時長崎港口に進むや、砲臺及び露西亜国軍艦祝砲を発し、亜米刊加合衆国軍艦其の他碇泊の内外商船悉く飾旗の禮を行ふ、御艦楽を奏して此の間を徐行す、五時二十分入港し、鞄の浦と大浦との中間に投錨す、」
(明治天皇記より)
内田九一は海軍省雇いで西国九州巡幸に参加した。宮内省文書によると、七月二十三日内田九一が巡幸中に撮影した写真全てを、折り本一冊にまとめ(紙写真共相添)海軍省が宮内省に渡し、八月十八日には九一から請求のあった代金五十一円が宮内省より海軍省に支払われている。
(岩壁義光氏:鹿鳴館秘蔵写真帖-西国巡幸より)