いきなりセンセーショナルな見出しで読者を引きつけようとする「東スポ」方式でごめんなさい。今回はそれほどのもんじゃありません。近藤さんのキャラクターを興味本位に若干プロファイリングしてみました。「東スポ」感覚でお願いいたします。
さて、「写真を撮るときに手を出していると手が大きくなってしまう」などという説を、近藤さんや木村さんが信じていたとは思いたくはないが、実は、写真撮られ経験豊富な木村さん、写真を撮るときには、決まって、何かを持っているすなわち手をグリコの状態にしているか、袂に手を入れ隠している人で、案外木村さんは手が大きくなることを心配していたのかも知れない。
されば、剣客近藤勇大先生は、職業柄、手がでかくなってしまっては困るという漠とした不安を感じながら、メンツもあり、懐手という妙策を編み出したのではとHP子は思うのだ。こうすれば、とても自然に自己の抱える恐怖心を悟られずにしかも手もでかくなることは絶対ないからだ。
冗談はともあれ、彼が懐手をしているのは、「謙譲」の意味でもあるらしいことに気がついた。
まず、懐手と判断をしたのは、
1.完璧に見えない両方の手先。
2.もし、手を縮めて袖内に格納しているとすれば、木村さんのように肘部分で袖奥に出っ張りができ、着物の肩から袖のラインが突っ張るはずであるが、それはない。
3.また、手の先を、そうまでして隠す理由は、手がでかくなるのがいや位の理由以外にはない。
4.近藤写真については、鳥羽伏見の戦いの前十二月十八日銃弾により右肩を負傷した後、江戸に帰り松本良順のもとで治療を受けた際、内田九一により撮影されたとされる説もあり、痛む右肩をかばって右腕を固定しているからなどと喜ぶ人も出よう。しかしもう一つの腕組みをしている写真は普通に腕組みをして、なお右腕を上にしていることから、手負い説を追求しても一貫しない。
5.左腕は着物の脇で腕を抜き、右前身頃の上に。右腕も右前身頃の上で、左右両腕は左前身頃の下に置かれている。
6.ふところの両腕のふくらみで、腰の小刀が脇にずれ、且つ前下がりになっている。腕組みと比べるとよくわかる。
7.左前身頃が前方に引っ張られたために、襦袢の衿もとが広めに見える。
ざっとこんな理由からである。